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SDGsと友達の仲とネット

2019.11.18-現在

SDGsについて、また環境について考えると極論は"どれだけ周りの人達の事を考えられるか"だと思う。

理由として、格好良く言うとSDGsの最終目標17に「パートナーシップで目標を達成しよう」が何故示されているかという理由と似ている。筆者風に解釈しすぎている部分もあると思うが、例えば、電車で老人や妊婦に席を譲るといった小さな行動も大きくなれば、その方たちの活力になるし、何よりもその優しさが人だけでなくモノ(環境)にまで伝わると思う。ごみ拾いなど環境に直接関係あること以外でも信号を守るといった道徳的な事でも、SDGsに貢献するといった意味からは同じものに捉えられると感じる。

ただ、やってみると中々に難しい所があり、例えば環境の記事を読んでいて、「あ、これは知り合いの研究に役に立つかな?」と思う物があったりするが、それを送っていいのか筆者は非常に悩んでしまう。送ってしまえばいい!マイナスな事なんてない!という筆者も居るのだが、おせっかいすぎるのではないか、もう知っている情報だったらなぁ…という、(筆者の性格上)友達未満他人以上(友達>他人)の部分が強く出てしまう。ただ筆者は冒頭に述べたように、周りの人の事を考えて行動することがSDGs強いては、世の中を良くする方法なのではないかと思うので、1度みんなと仲良くしようとした事があるが、その内の1人に「そこまでして仲良くなる必要あるの?」と言われた。確かに考えてみれば、筆者がやろうとしてた事は一緒にご飯を食べようといった事であり(今でもそれ自体は失敗だとは思わないが)、筆者が一方的に押し付ける、相手の気持ちを汲み取っていなかったかもしれないと思う。だけど、"仲良くなる"とは何なのか…。

思えば、こういった疑問はスマホが普及し、LI○Eでグループに誘われた誘われなかった、Instagr○mで親しい友達設定されたされない、といったところにも感じていた。実にくだらない(自分の評価を他人に任せているようで)が、そういう事を意識している自分もいる事は事実であり、主に小中学生時代なんて、学校=自分の世界ではないだろうか。学校生活で大切な事は顔の見える知人とのコミュニケーションをいかにとるか、ここであると思うので、ある程度は仲良くやっていかなければならない。いじめられた小学時代、自律神経で悩んだ中学時代、保健室登校をした高校生時代と、割りかし考えてきた筆者の過去を思い返してみたところ、仲良くなるとは、程度の差はあるけれど、「相手の存在を認識し、相手の事を思って何かをしたら」それは最早、仲良くなったのではないか、と思った。皆が相手の事を思えば、相手の腹の中の読み合いがなくなるわけだ。

ネットが普及し、世の中はとても便利になった。しかし、人が考えなければいけない部分が増えてしまった、生きづらくなった様にもみえる。人に何かアドバイスをする時でも、多面的にみえてしまい、それすら出来なくなるときがある。ネットにより広範囲で物事が見える様になり、それを私達は自分に落とし込み、自分の意見を作っていく、という作業が必要になった。

今、SDGsが私達に投げかけているものはなんなのか。それは単なる環境だけではない。社会、経済、環境だけでもなく、周りの人との協力なのではないかと思う。ネットで多くの情報を集め、周りの人と話し合い、実践し、特に人や自分に優しくなる事でその速度は早まっていくのではないかと思う。

あとがき。つらつらと思うままに書いてみたが、よくまとまっていない文章だなぁと思いますし、中々いじめられたとか書きたくないですね笑。You Tuberさんが自分の過去を動画にしていますが、凄い勇気がいるのだと思いました。また、もし最後まで読んでくれた方がいましたら、本当にありがとうございました。批判コメントは心が傷つくのでやめてくださいね…。何か、読んでくれた方が、これからの人生を生きる上で少しでも考える要素となれれば…と大層な思いいます。重ねて、ありがとうございました。

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