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当事者という言葉にこだわって、沖縄基地問題を見れば

当事者という言葉にこだわって、沖縄基地問題を見れば、

「国防」という点では、日本国民全員が当事者だし、
「基地負担」という点では、より沖縄県民が当事者であるだろう。

更に、基地負担の面では、基地が密集する本島中部かそれ以外か、嘉手納や普天間の飛行ルートに当たる地域かどうかでも負担感は大きく違うだろう。
軍用機がうるさいのは当然だけど、海兵隊のヘリ・輸送機と航空隊の戦闘機では比べ物にならない違いがある。内地ではあまり着目されない点だと思う。

それに、本島か離島かでも違ってくる。より国境側に近い場所に住む当事者としてのプレッシャーは、本島の人にも推し量りにくいだろう。ただ、海上での領海侵犯の危険と隣り合わせる恐ろしさは、本島でも糸満の海人などは感じるそうだ。

沖縄で生きるに当たって、基地と関わらずに生きていける人達はどれだけいるのだろうか。いないわけではない。例えば、那覇の一等地に土地を持っていて、その収入で暮らしているなら、基地と関わりを断って、嫌ったままでも生きていけるのかもしれない。
または、日々の生活に追われていて無関心なまま、沖縄のどこにどんな基地があるかを知らないまま過ごしている人もいる。

生活の中に基地の存在が根付いている人達がいる。基地内で仕事をしている、というだけでなく、基地に関連する仕事をしている、昔から米軍人と関わってきたような「当事者」なら、一辺倒に基地に嫌悪感を剥き出しにする事は出来ないはずだ。

また、これは大きなポイントと思うけど、軍用地収入を得ているかどうかで当事者としての立場が変わってくる。

なぜか、普天間の事ばかりが話題にあがるけど、嘉手納や那覇空港増設の事は?米軍は撤退を進めていて、代りに自衛隊が使うための拠点はどこになるのか?
そんなところにも沢山の当事者がいる。だから声も意見も一つではないし、賛成か反対かという二項対立でも語れない。だけど、基地という存在は、平和維持のための暴力装置拠点という存在は、やっぱり、あるかないか、0か1の存在だ。声や意見や気持ちではどうにもならないものがある。

沖縄の全ての意見を代表は出来ないけど、色々な立場の人の本音を聞けば、「もっと知って欲しい」が共通していた。

確かにと思う。
なので、基地に関して、当事者でない人なんていないという事だ。

追記
この文章を書いたきっかけは、基地辺野古移設反対運動を訪問したひろゆき氏がその件で関係者と議論する番組を視聴した事で、その中で特に、辺野古移設反対運動の支持派として出演していた、沖縄タイムス記者の阿部氏の発言が酷いと感じたからだ。

https://abema.tv/video/episode/89-66_s99_p4192

開始40分頃の、「沖縄県民の立場でない人が、偉そうに講釈をたれるな」といった趣旨の発言、元沖縄県民の私としては、看過出来ないものであった。

あんたはなにを勝手に沖縄を代表しとるつもりになっとんねん。

上記で書き連ねた様に、沖縄には多様な立場や意見がある。それらを全て代表する事など出来ないはずで、「自分こそが代表者だ」と思う事は謙虚さに欠ける事だ。

阿部氏にとっては、自らの主張に賛成しない者は全て「沖縄県民の立場ではない」というジャッジなのだろう。そうやって、いつ「非沖縄県民」と責められると思えば、当の沖縄県民でさえ自由に発言をしなくなるだろう。

それを言論封鎖と言わずして、なんと言うだろうか。

そしてそんな事を続ければ、どれだけ沖縄が孤立してしまうだろうか。

内地(本土)の人程、遠慮や負い目や解らなさがあって、阿部氏の様な論調になびきやすいのかもしれない。沖縄と内地の間に立ってそんな風に感じてきた。そして、なびいた事に満足して、それ以上には沖縄の事を知ろうとしてくれなくなる事も・・

上記の文章は、そんなギャップを埋めたいと思って書いた文章だ。ありのままを書きたい・・私自身のイデオロギーからは完全に自由になれないまでも、何とか沖縄を表現したいと頑張った。完璧ではなくとも、「なびきでっかち」だった人達の目を開かせるには十分だと思う。

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