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エシカル、サステナブルとは?

 エシカルというのは倫理とか道徳に属する部分で、体に有害なものが加わっていないかとか、自殺者が出るような労働環境で作られたものではないか等々の問題です。

 サステナブルは持続可能であるかという事で、生産する上で環境負荷が大きく、作り続ける事に問題があるとか、肉体的・金銭的等の要因で継続していけるかどうか等の問題です。

 二つとも問題とする領域が被る話ですね。

 僕が特にこの辺りの事を意識するようになったのは、自分で飲食店を6年程やっていた時の事です。魚に力点を置いたお店だったので、川崎北部市場に自分で仕入れに行っていました。やはり自分の目でみて触って確認しないと、本当に良いものは手に入らないと思っていたからです。

 たったの6年ですが、この間に市場に並ぶ魚の変化をはっきりと感じていました。単純に良い魚の入荷が減少し、値段も高くなりました。全体としてのデータでも漁獲量が減っているという記事も目にする事が多くなった6年でした。ただし、それでも多くの魚が売れ残ったりしていて、この大量の売れ残りはどうなるんだろう?、とかこんなに魚を獲る必要あるのかな? と思ったりしていました。

 その頃はテレビで漁船が漁獲量を競って釣りまくっている映像を流しているのを嫌な気持ちで見ていました。ただしその方々にも生活がありますし、市場の魚屋さんもそれなりの仕入れをしないと売り上げが立たない等の問題があるので簡単に非難することはできません。これは自分の店にも言える事でした。

 これは社会全体のシステムが変わって行かないと、どうにもならない事ですが、まず自分にできる小さな一歩はなんだろうと考えました。

 このまま魚に重点を置いたスタイルを続けていくのは無理がでるのであれば、肉や野菜をもっと積極的に使うべき、となります。無理をして高い魚を仕入れなくても良いというスタイルが大事なのだと。無理しなくても手に入る食材で美味しい料理を提供する事、これには幅広い知識と経験、技量が問われます。無理なく手に入る食材で柔軟に対応する、しかし質は落とさない。

 これって結構大変な事です。そもそも魚を中心に据えるという部分を変えるだけでも正直悩みましたし、結局やりきれなかったなと思います。それまでに常連となってくれた方々は魚が美味しいと思ってくれています。そこを変えるのってどうなんだろう?という不安。それと新しい方向に踏み出す際の精神的な抵抗感。

 でも最近のコロナによって幾分ハードルは下がっていると思います。ネットで支援したいと思う農家から購入したり、使ったことのない食材を買ってみたり。自粛の影響で、今あるものでなんとかしようとしたり。制限がかかることで変わった部分は間違いなくあると思います。購入ルートが増えたり、選択する食材の幅が広がったりする事は、食材消費のあり方に変化をもたらす可能性はあると思いました。

 たとえコロナが過ぎ去ったとしても、エシカル、サステナブル、SDGsといった言葉を見る機会は増えてゆくとは思っています。

 今回はここまでです。

 次回は今回の話をふまえて、なぜぼくはおむすびをライフワークにしようと思っているのかを書こうと思います。

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