分からなくなった話

noteにいる人は自分なんかより頭のいい人がほとんどだと思うので、頭の足りない自分のこの思想を自分でもわかるように論破してくれるとたすかります。

アークナイツ関連で見てくれた方へ
アークナイツ関連じゃなくて申し訳ないです。
もしかしたらまた考察記事を書くかもしれないし書かないかもしれませんが、少なくともこういった記事を書くのはこれで最初で最後にするつもりなので、もし良ければフォローはそのままにしておいて下さい。

ツイートした内容そのまま載せます

高校の時、家庭科の先生が「とても痛い思いをして子供を産んで、とても苦労して育てても、その笑顔だけで報われる、また産みたいと感じる。なぜなら女性ホルモン(オキシトシン?)は出産の辛いことを忘れさせて、子供の可愛い面をよく見せてくれるから」みたいな事を言っていて、

人の体、というか遺伝子を残そうとする仕組みはよくできてるなーと思ってたんだけど、最近は同じようなことが「生きる事」にも起きているんだろうなと思いはじめて。
皆とても辛い思いをして今日までを生きてきて、とても苦労して今日を生き延びて、その報いを娯楽、愛情、その他欲求で満たして

辛い思いなんか忘れて、忘れたふりをして明日も生きる。
子育てもそうだけど、割にあってると思えない。
割にあってると思えないのは多分、自分自身に子育てでいう「女性ホルモン」が不足しているのか、割に合うと思える「子供」に出会えていないからだとは思うんだけど、もう少しで

20年という期間生きてきて振り返って割に合わないという感想が出てくるあたり、これ以上生きていてもコンコルド効果の虜になる未来しか見えない。
じゃあ合理的に考えて今すぐ自殺するべきだという結論になるんだけど、ここで社会性と生存本能が邪魔してくる。

俺はお母さんとお父さんにとても感謝してる。幼少期の辛い思い出の99%が母のせいだったとしても、今では感謝してる。
自殺できた時、俺は喜ぶと思うけど、母、父に悲しい思いはさせたくない。何も残さず、恩も返さず、ただ感謝の手紙を遺して自殺するのはあまりにも親不孝過ぎて申し訳ない。あと友達

最大の難関は生存本能ですよね。
死にたいと思っても体が動いてくれない。なんなら、この下らない文章をツイートしようとしてるのも自分の生きる道を醜く探し出そうとしてるみたいでもう気持ち悪すぎる。やだ。気持ち悪い。消えたい

人によっては考えだしたら行き止まりになって人生が終わる思考と言うものがあると思っていて、その一つがラプラスの悪魔です。超噛み砕くなら、親(遺伝子)ガチャ+環境ガチャで自分は構成されているという考え方で、これで自分は終わりました。

youtubeのラプラスの悪魔の例えの一つにスパコンがあったと思うんだけど、俺が言いたいのはラプラスの悪魔が実在する、ということではなくて未来は決まっているということであって、スパコン自己破壊の例え話を思いついた人とは友達になれそうにないと思う。

それはともかく、ラプラスの悪魔に関して言えば、量子力学の観点から完全論破されてるんだけど、この量子力学は俺みたいのには理解できないから行き止まりです。ランダム性が世界を支配してるというなら、悪魔の否定より先に三体で言うところのシューターとファーマーを心配するべき。

更にいうならランダム性があったところで、未来は変わらないと思う。
書いてて思ったけど、これじゃ決定論者じゃなくて宿命論者だね。
なんか長く書いたけど、とにかく、自分は自分に自由意思があると信じたかったけど、それを肯定できる術を持てなかった。だから、自分に意味は無く、終わりです。

自分が無力感に覆われた時点で、自分が意思を肯定できる術を持ち合わせなかった時点で、決定論に出会った時点で、誰かが決定論を世に出した時点で、人類が知能を持った時点で、地球に生物が生まれた時点で、地球が誕生した時点で、宇宙が誕生した時点で、もう終わってたのかもしれない。

生命は遺伝子の乗り物、なんて考えてるうちは良かったけど、自分はこの宇宙の情報のほんの一部を担っていて、さらに言えば、この先自殺したとして、それもこの宇宙の情報の一部に過ぎず、なにも変わりはしない。

クラゲにでもなりたいな。痛覚があるなら嫌だけど。

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