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米と日本人

インドネシアでは米を収穫している田圃の隣で、次の稲を植えるのだそうだ。年中暖かく、水も豊富な地域だから、何も苦労しなくても米がとれるらしい。

対して日本は四季があり収穫の時期は決まっている。その上戦国時代の戦略である苅田によって、収穫時に敵に先に収穫されてしまったり、農閑期に兵隊になってひと稼ぎする風潮があったことから、早く田圃を仕舞うためにより早く収穫できる稲をつくる品種改良が盛んになった。いわゆる早稲の登場だ。日本人は稲と向き合うなかで、カイゼンにつながる気性を育んでいったのだ。

米は金であり食い物であった日本。稲づくりは計算や測量の技術のもとになる数学と密接に結びつき、普通の農民であっても高い教養と数学の素養を身につけた。それが機能や合理性が至る所にしみ通った田んぼとともにある生活を生み出したのだ。だから日本の田圃にはほうっと息をつきたくなるような美しさがあるのか。茶室との空気が似ているように感じたのもふしぎではないのかもしれない。

いくさに台風、地震に飢饉…目の前に絶えず発生する課題をクリアするために知恵を使わないと生きていけず、ひたすらに自然を改良してきた日本人。弥生時代から続くコメ作りが、日本人を鍛え上げてきた。そのDNAは私の中にも息づいている。

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