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抹茶ミルク15

三が日を外し、4日にお通夜をしたが、身内と松村以外、人はいなかった。しんとした静けさ。社会との接点を失ったおやじの寂しさが透けて見えた。
だが、翌日の葬儀は日曜日だったからか、朝から飲み友達や飲み屋のおやじさんがわんさと集まってきて、急に賑やかになった。皆、お焼香を済ませると、2階で精進落としをするが、しんみりしている感じは全くなく、宴会に似た活気があふれ始めた。

お坊様へのお礼などもろもろ済ませて2階に上がると、急にアルコールの匂いに襲われた。赤ら顔の人たちがテーブルごとにわいわいと笑いながら盛り上がっている。みんな何だか楽しそうだった。

玲子おばさんと母と俊が見知らぬ女性と話しているのに気がつき近づいた。
年齢は母と同じくらいだろうか。化粧をしてパーマをかけた髪型で、喪服を着ているのになんだか派手な感じを与える人だ。たぶん、お酒を飲んですっかりできあがって、隣の男性とがはははと笑いながらしゃべっているからかもしれないが…。

「…それでさ、光明ちゃんがこの人の自宅に大晦日に来たのよー! 私たちも光明ちゃんが住むところがなくなったのは知ってたからさあ、心配しててね。『もうお正月でしょ?どうするのよ?』って聞いたら、『社会人になった息子が優しくてさ、お金を貸してくれた上に、正月くらい泊まりにきなよって言ってくれたから、正月は大丈夫だよ』って嬉しそうに返事をしたのよ。なのに、その晩にこんなことになったでしょ。本当に残念だったわね…」
と、その女がまくし立て、隣の男と一緒に「光明ちゃんのために!」と献杯を始めた。

母が不思議そうに俺を見た。
「和志…どういうこと?」

ゴクリと生唾を飲み込んで俺は答えた。
「仕事納めの日におやじから電話があったんだ。俺のスマホに。10万貸してくれって言われたんだけど、一度貸したら次から次へと金を借りにくるんじゃないかと怖くなって…おやじの話を途中で遮って、電話を切ったんだ…。なのに、おやじ、なんであんな話を…」

母と俊、玲子おばさんと俺の間に沈黙が漂った。

おやじは他人の目を気にする男だ。でも、どれだけ金に苦しくても、実の子供に金を借りに来たことは一度もなかった。それが初めて金を無心した。それなのに、俺に怒鳴られ拒否された。そんなこと、友達に言えるはずがなかったんだ。

そして、最後に頼ったのが俺だ、という事実が今更のように俺を打ちのめした。長男の俺を「跡継ぎだ」と言って、おやじはとてもかわいがってくれた。たぶんおやじは俺を純粋に愛していたからこそ、最後に俺のところにやってきたのではないか。おやじと俺の幸せな時間。あの影踏みの思い出がおやじの中にもあったからこそ…。

「俺のせいだ…」
「俺が金を貸していれば、こんな嘘をつかなくてよかったのに…おやじは今でも生きていたかもしれないのに…」
うなだれた俺の肩を、玲子おばさんががっとつかんだ。
「和ちゃん! 違うわよ!! もし私がお金を借りに来られても、きっと同じことをしたと思う。和ちゃんのやったことは間違ってない。…仕方のないことだったのよ…」

涙のにじむ目でまっすぐ見つめられ、俺はどうしたらいいかわからなかった。ただ、「はい…」と返すだけで精いっぱいだった。

そのとき視線を感じた。ふと目をやると、母と俊が俺をじっと見つめていた。
―お前はひどい奴だ-

その視線は玲子おばさんと同じものではなかった。
二人とも、夫と父を奪った俺を責めている。あんなにおやじにひどい目にあわされたのに。あんなに毎日毎日苦労して一緒に生きてきたのに。最後の最後で知らずに手を下してしまった俺を、この二人は恨んでいる。

俺はおふくろと俊のことが好きだから、子供のころからいらない苦労をかけないように、成績を上げるように努力して、手伝いもこまめにやって。おふくろにわがままを言いたい気持ちも俊に文句を言いたい気持ちも、ずっとずっとこらえて生きてきたのに。
そんな俺の気持ちは、この二人に1ミリだって届いていない。それが一瞬でわかってしまった。俺はおやじの生命維持装置を外しただけではなく、そもそもの死ぬ原因を作った張本人。親の命を奪った殺人者。一番の悪者。それが俺…。

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