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木漏れ日と現実逃避
「キラキラとふわふわだったら、どっちが好きですか。」
考えすぎて思考がまとまらない時にこの言葉を投げかける。
私は、木漏れ日そのものになりたいと願うときがある。
キラキラもふわふわも持っている木漏れ日そのものになりたい。
それ以上思考を掘り進めたことはなかったので
今回、人に送る文章を作りながら整理した。
木漏れ日には何の感情もなく、ただそこに在り
見つけた人にちょっとした喜びとあたたかさをもたらすことができる。
私は何も感じたくないし考えたくもない。
解離性障害について調べていると、
悩んでいる自分と悩んでいない自分をわけており
わけている痛みを取り戻す作業が必要だそうだ。
見て見ぬふりしてきた負の感情を取り戻したくない。
私の痛みははたから見れば大したことない、ちっぽけな痛みだ。
私しか「痛かったね」って言ってあげられない。
また一人ぼっちになってしまうから、取り戻したくない。
私は人間で、よほどのことがない限り木漏れ日に
生まれ変わることなんてできないのに
至って自分勝手で傲慢だなあと思う。
自分で勝手に痛みを切り離してきたくせに
その痛みを取り戻さない限り
病気のままなのに
取り戻したくないだなんて
やっぱり私は我儘だ。
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