[スター・ウォーズ]レイ三部作(シークエル・トリロジー)は「守破離」である

(随時更新)

これから『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』の3作からなるレイ三部作(シークエル・トリロジー)を解釈していく。

※ここでは『フォースの覚醒』『最後のジェダイ』『スカイウォーカーの夜明け』の三作を「レイ三部作」と呼ぶ。一般には「続三部作」や「シークエル・トリロジー」と呼ばれるが、これは用いない。その理由は「レイ三部作」がもっとも分かりやすいと考えたからである。
同様にエピソードI~IIIを「アナキン三部作」、エピソードIV~VIを「ルーク三部作」と呼ぶことにする。

ここでは以下に述べる立場から解釈する。

登場人物の苦悩は、制作者の苦悩である。物語内の問題は、現実における問題である。こう考えてレイ三部作を解釈する。
正しいことが分からず、未来を見通すこともできないならば、何が正しいか考える時間が十分にないならば、我々はいったい何をすればよいのか。先人たちをどう継げばよいのか。これが、レイ三部作の抱える問題意識である。
これに対するレイ三部作の答えは、今自分にできる最大限のことをすること、そしてそれが必ずしも正しくないことを自覚すること、問題が起きたときには反省し次の行動に生かすことである。
さらに、師の教えを守り、破り、離れるという「守破離」という過程を通して、先人たちを継ぐことである。

できることをするという答えを陳腐だと感じる人も多いだろう。陳腐な答えにならざるを得なかったことには理由がある。それは以下の記事で述べる。

守破離とは、師の教えのとおりに型を守る「守」の段階、次に他流派の教えも取り入れ型を破る「破」の段階、最後に師から離れ独自の型を作る「離」の段階という3つの段階からなる一連の修行の過程を示したものである。

レイ三部作は、この守破離という概念を用いると分かりやすくなる。

まとめるならば『フォースの覚醒』は「守」、『最後のジェダイ』は「破」、『スカイウォーカーの夜明け』は「離」である。


一つ目の記事

ここで、どのような方法で分析するか述べる。これは読まなくてもまったく問題ない。

二~四つ目の記事

ここでは、レイ三部作の問題意識とその解答を一般論として述べる。

五つ目の記事

ここで、上で一般論として述べたことが、映画内で実際にどのように描かれているか述べる。二~四つ目の記事より先にこれを読んだ方が分かりやすいかもしれない。

これらをもとに、以下の記事では、レイ三部作では具体的にどのようなテーマが「守破離」されているのか見ていく。

(準備中)



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