見出し画像

【初心者向けミリタリー】戦車の歴史あらかると/Panzer015【チーフテン/英】

(全3,333文字)
皆さんおはようございます。
毎週木曜日は、かけうどんの趣味の軍事・ミリタリーに関連する記事を投稿する日にしています。

この『歴代戦車あらかると』シリーズでは、世界各国の歴代戦車を”単品”で取り上げてみたいと思います。

今回は冷戦期に旧ソ連が西側兵器の中で最も恐れたと言われる英国製の第2世代戦車『チーフテン』について書きたいと思います。

過去のミリタリー関連記事はこちらのマガジンにまとめています。

【チーフテン/英】


1.概要

チーフテンは、第二次世界大戦後にイギリスで開発された第2世代にあたる戦車です。

第2次世界大戦末期に開発され、実戦投入される前に終戦を迎えた新戦車、『センチュリオン』と、その支援用に開発された重戦車『コンカラー』の2つの戦車の系統をひとつに統合する目的で開発が始まったのが、この『チーフテン』でした。

1963年から本格的な生産が開始され、1970年代初頭まで量産。生産終了後も各種改良が重ねられ、型番のみで採用されていない車種もありますが、チーフテンMk1からMk13まで存在しています。

後継装備となる新戦車のチャレンジャーが登場するまでの間、チーフテンはNATO地上軍の一翼を担い、相対する旧ソ連軍が最も恐れた西側戦車として認識されていたとも言われ、文字通り『抑止力』としての役目を十分に果たしました。

2.構造・機能など

(1)構造・設計

英国は当時の西側諸国が技術的なトレンドとしていた戦車開発の指標をそのまま受け入れることなく、独自路線での戦車開発を継続していくことにしました。

と言うのも、第二次世界大戦後の西側諸国では、各種高性能な対戦車火器が次々と登場したことによって…

『がんばって装甲厚くしても、どうせ火力がインフレして行くんだし意味なくね?』

『だったら、機動力マシマシで行けばよくね?』

(『当たらなければどうという事は無い!』byシャ○少佐)

となります。

「いやいや、それ、アカン奴やで…。」

英国はその流れには素直に乗りませんでした。そこには、英国独自の兵器開発の歴史が大きな影響を及ぼしたと考えられます。

第二次世界大戦中、軽快機敏に走り回れる『巡行戦車』と、歩兵の火力支援を目的とし、重装甲&大火力、しかし機動力は鈍重という『歩兵戦車』の2系統の戦車を英国は開発・配備し、様々な戦場で実際に運用した結果、貴重な教訓を得ました。

『帯に短し襷に長し』はどっち付かずでアカン。との結論です。(ちょっと短くしすぎたかもですが…)

結果として、英国はチーフテンに十分な装甲防護力を付与する方向へと大きく舵を切ります。

(2)火力など

主砲はコンカラー重戦車の120mm砲が強力すぎ、オーバースペックであったため搭載が見送られます。当時の技術的な限界もありました。

かわりに、新開発されたL11ー120mm砲が搭載されることになります。(この時点でコンカラー重戦車の立ち位置が微妙に…)

砲弾の口径を大きくすると、おのずと弾丸そのものが、大きく・重くなるので、人力で装填するには兵員の力と相応の作業時間が必要になります。

この点は、弾頭と炸薬を分離して装填する、『分離装填方式』を採用することで緩和しますが、結果として装填手の装填動作が弾丸と発射装薬で2回分必要になることから、発射間隔が長くなり、1分間に6発程度しか射撃できないという泣き所もありました。(旧ソ連製T-72戦車も分離装填式でしたが自動装てん装置を搭載していたので、機械的な力でカバーしています。)

それでも、当時の旧ソ連製戦車と互角に戦うには必要不可欠な火力であったため、全く無駄な努力ではなかったと思われます。

(3)機動力

足回り/サスペンションはセンチュリオン戦車と同様にホルストマン方式が採用され、整備性と実用性の両方が重視されます。

エンジンは重い車重から、新開発のL60対向ピストン方式の6気筒多燃料液冷ディーゼルエンジンを搭載する予定だったところ、余りにも先進的すぎたことがわざわいし、複雑な構造から故障が多発。結果的に、後の改良でごくオーソドックスな普通のディーゼルエンジンに換装されています。

余談になりますが、この例に漏れず、世界各国の戦車開発の経緯をあちこち見ていると、エンジンの開発にはどの国も苦労してきたことが伺えます。
(ソ連のT64などもこの例に漏れず、ガスタービンエンジンに固執し、実用化が大きく遅れたとされます。)

3.運用実績など

(1)冷戦のはじまり

第二次世界大戦が終わり、世界は冷戦構造へシフトしていきます。

この新戦車、チーフテンがNATO(旧西ドイツ)に配備された当時、旧ソ連軍は、『世界中の戦車を並べ、一番脅威になるのは英国チーフテンだけ』と言っていたとか、いなかったとか…。(←かけうどんの予想再現VTRです。)

まあ、【旧ソ連が最も脅威としていた戦車=チーフテン/英】と言うセンテンスはあちこちの文献に書かれていますから、間違いでもないかも知れません。

その後、本車は、イラン、ヨルダン、オマーン、クウェートなど中東諸国に供給されます。このうち、シール1/イラン仕様の車体は、後にチャレンジャー2戦車開発時のベースになったとされます。

(シール1:当初イスラエルとの共同開発計画としてたちあがったが、諸事情により反故となり、イスラエルは独自にメルカバ戦車を開発)

(2)イラン・イラク戦争

イラク軍:旧ソ連製/T72、T-62、T55/54
イラン軍:米国製/M60、M48、英国製/チーフテン

結果、この戦争では、APFSDS弾(←特殊な徹甲弾)の前に、従来型の装甲では防護が不可能であると言うことが分かった戦例でもありました。また、イラク側が用いた、平地を冠水させて湿地化し、戦車や装甲車の機動力を低下させるという戦法の前に、重量の大きなチーフテンは苦戦を強いられています。

(3)多くの改修型が存在

Mk1:試作車(試験/訓練用)、1965年に40両だけ生産

Mk2:1967年、初期量産型、エンジン650馬力

Mk3:新型キューポラ装備。エアクリーナーなど改良

Mk3/2:電装系、エアクリーナー改良

Mk3/3:レーザー測距機、改良型NBC防護装置を装着

Mk3/3P:Mk3/3のイラン向け輸出車体

Mk4:燃料タンク改良(増加)、試作のみ。

Mk5:1970年に生産された新規製造車体の最終型。Mk3/3をベースに750馬力エンジンを搭載、NBC防護装置を改良

Mk5P:Mk5のイラン向け輸出型

Mk6:初期量産型Mk2を750馬力エンジンに換装(1979年)

Mk7:Mk3をMk6相当にアップデート

Mk7/2C:Mk7のオマーン向け輸出型

Mk8:Mk3/3をMk6相当にアップデート

Mk9:Mk6のFCS(射撃統制システム)を改良型に換装

Mk10:Mk7からの改良型。Mk9相当の改修、主砲前方部に新型複合装甲(スティルブリュー)を追加(1985年)

Mk11:Mk8をMk10相当に改修。NBC防護機能の改良、砲塔左舷サーチライトをTOGS(熱戦探知式火器管制装置)に換装(1988年~1990年)尚、量産配備された車体としては最終型モデル

Mk12:Mk5をMk11相当にアップデート

Mk13:Mk11のアップデートを計画中のところ、チャレンジャー2の開発が決定しキャンセル。

最後に…

中東戦争では『砂漠』と言う特殊な戦場の環境ではあったにしろ、多数の東西戦車が相まみえ、そして実戦を通じた『軍事科学技術の立証』が成されました。

砲塔周りの備品箱などが中空装甲の役目を果たしたとは言え、英国戦車(センチュリオン)のタフさがそこでは証明されていもいます。

英国は世界で初めて戦車を実戦で使った国です。

英国独自の運用構想や、戦場で証明された技術的な確証、そして実戦で培われた実績などは、文字通り世界の最先端を行っていたんじゃないかなと個人的には思います。

(ドイツやソ連を含め他にも経験豊富な国は多数ありますが。)

毎度のことながら、なにしろ素人が書いている記事です。

諸所分かりにくいところもあるかと思いますがどうかご容赦ください。

最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。

よろしければサポート頂けると嬉しいです。頂いたサポートはクリエイター活動費として使わせて頂きます。