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【娯楽は欲求になるのか】2022-01-25

・映画館とか劇場とかで、当日行ってみたら席が空いていなくて見れなかった、ということがある。自分も何度か経験したことがある。

・では、「ご飯を食べようと思ったらお腹がいっぱいで食べられなかった」ということはあるのだろうか。僕の数少ない経験上、ない。

・それは、映画館や劇場は、自分の感覚でわかるものではないため、見てから判断するしかないのだ。しかし、お腹は自分の一部であるから、「お腹空いてるな」とか「お腹いっぱいだな」とかがなんとなくわかるものだ。


・しかし、めちゃめちゃヒットした映画とかだと、予約しないで行ったらどうなるかは想像ができる。人がいっぱいだろう。

・でも、ご飯に関して、どれだけ美味しかったとしても、それだけでお腹いっぱいになることはない。おなかいっぱいになる前にストッパーがかかる。これ以上食べたら気持ち悪くなる、とか、これ以上食べたら素寒貧だ、とか。

・この場合、映画館とお腹だと、どちらの方が優しいのだろう。


映画館…実際は行ってみないとわからないが、なんとなく予想ができる
→想像の幅が狭くなる、感情が起伏する

お腹…見なくても分かるが、ストッパーがある
→いろんな想像ができる、感情が生まれない


・ご飯を選択するとき、自分の想像は広がる。サラダ、大きいのにするか、小さいのにするか。塩にぎりにするか、昆布にするか。

・映画は、逆。たくさんある選択肢の中から、これは嫌、これは長い…と、消去法になってしまう。自分だけかもしれんが。


・やはり、映画は「娯楽」の範疇にとどまってしまう。食事、という「欲求」からは逃れられないのだ。

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