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534 83歳の日々

(9)タイトル変更

 誕生日を迎え、ひとつ年を取り、noteに記録する題を、ゆらぎの中をとして、書き始めた。
今までの延長で、日々の身辺事情を書き留めるだけなのに、何故か、此の、揺らぎという言葉が、気に入って採用した割に、本当にフラフラ揺らいでしまい、たくさんあるはずのネタが絞りきれず、流れ去る。投稿できないまま日が過ぎて、このまま有耶無耶に書けなくなりそうな、焦りを感じた。
たかだか身の回りのことからテーマをみつけ、短文にまとめるだけなのに、どうも収まり悪くストレスになるではないか!
考えてみれば、性格的に単純で黒白はっきりさせたがる、せっかちの自分が、いくら年齢を重ねたとて、ゆったりゆらゆら、ゆらぎの中で思考をねったり、深めたり。そんな高尚なことは無理だった。
 さりとて枯れ急ぐ気持ちもない。
要は、旅心にしても、ときめきにしても、ある種の欲望は、はっきり持っていたいのであり、ゆらぎに任せるゆとりのような気持ちは、まだ、早い。
子供が遊園地で遊ぶように、ブランコを漕いだり、しーそーで上下したり、そう言う動きでなく、地でも空中でも水平移動で前向いて、進むほうが落ち着く。
なんのことはない、シンプルに、(日々)で、くくる事に決めた。
 揺らいでいては焦点が合いにくくて、書きたいことの中心が狙い定まらないのに、(日々)と簡単にまとめたら、すぐネタの一点に気分が集中する気がする。
ありのままをつずる結果になり、面白みを出すことは少し勢いが減じられる。ゆらいで、なやんで、迷走して、もしかしたら人の心を引き込める魅力的な一文になるやもしれぬが、まあ、自分には力量にかけると、悔しいが思う訳だ。
 さて、一つ事が進行しているので、そのことに焦点を当てよう。
広報に、高齢者の困り事や相談あれば、地域包括支援センタ〜に連絡をと記事を見つけた。
折しも、年長の友や、大先輩、年下の方からも、急に情報が集まって、あなたは元気だからダメ元で話は聞いて知っとくほうが良いと勧められた。
 生活の大方は自分で、何とかやれている私も、昨年は手術が重なり1年病院と密な関係。心の底で、一人暮らしについての不安も時にはよぎり、今までの能天気ではなく真面目に、今後のあるべき暮らしの予測も心過ぎり、元気な今のうちに情報なりあつめておこうと、その気になった。
 雨がザンザン降って、気持ちが静まっていた時、ふと思いつき、地域包括支援センタ〜に電話かけた。
予期せぬ速さで、どんどん話が具体化して、ある日若い男女の訪問を受ける。
男性が柔らかな口調で説明やら質問やら、ゆるりと進める傍らで、女性は黙ってメモを取っている。
歩行のこと、寝室のこと、生活の自活の度合い、買い物や掃除のこと、細々と聞かれて実技も入る。二階の階段の上がり下り、トイレ、風呂場のこと、普段やってるママを見せて2時間半。
観察者の話では、私が無意識に動いている中で、数々の問題点を指摘された。一人暮らしの自由さで、さっさと出来てると思ってたことの実態が、実は、身体の不都合、不具合の原因になっているとか。
気にしていた手指の痛みにも理由があった。私は無意識で指を多用し力を込めていた。膝をかばったりしたのだった。
 話してよかったと心底思った。
 2回目は市役所から、介護保険の認定調査員の訪問があり、しばらく待ってから認定書が送られる旨伝えられた。
 一番軽い等級でも、例えば風呂場の手すり設置の割引などあるらしい。
 新しい局面が眼前に開けて、初体験になる。審査会に通るか通らないか、ダメ元で待ってみる。

#支援サービス受けられるか
#今なら動けているから
 助かるのだが

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