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381 81歳のくらしから

(18)路線修正

 文章を書くに当たり、ずっと続いてきたのが、ちょっといい話の路線。すこぶる真面目なテーマのときも、些かの笑いが交じるというような。

(今、踏みとどまって)

 コロナが続く、いつになく体の不調が続く。
長らく忘れていた腰痛に苦しみ、つい、考えた。
楢山節考にある、棄老伝説の、姥捨について。貧しい暮らしの中で、役に立たなくなった老母を、一人では帰れない山奥に、息子が泣く泣く背負って捨てに行く話。
誰もが知る民間伝承、悲しく辛い話だと思う反面、私は、全く違う思いになった。
今の時代なら、お金差へ有れば、有料老人ホームに入れる。真冬の楢山でなく、冷暖房完備の食事付き。
医療や生活環境の助けにより、命は永らえるかも。

(捨ててもらう)

 今でも昔でも、自分で排泄の始末ができなくなったら、その時なのだ。
食べなければと、自然に考え
衰えていく、思考能力も衰えたときが捨て時。
ある日、苦悩の末、意を決した息子が、暗黙の了解のうちに、広い背中を向ける。温かな背に、軽々と老母は背負われて、息子の足取りは覚悟の歩き。
何時間かかってその場所につくのか。少しでも長く?いや、きっぱりと片付けなければ。
捨てる側の重い苦悩と、捨てられる側の軽やかな哀しみ。
山の中には誰も来ない、何も食べたくない、垂れ流したって土に溶け込む。周りは木々の葉がそよぎ、植物の甘い香りが風に乗り、、人間の僅かな汚物も、たちまち自然に取り込まれる。
痛ければ唸り、食を絶った体とて声もか細い。
これでいい、これでいい。若いものは元気に生きていくだろう。朦朧と、恍惚と、いくらかのときが経てば、電池切れ、崩れるのみ。後は野となれ山となれ。

(夢想から冷めて)

 現実の私の思ったこと。
母、夫、叔母、旅の先輩。4人の死の共通項は、自分できっぱり死時を決めた。
最後までしっかりと、意思を通した!
そこで、まだ生きている私は、路線を少し変更というか、修正しようと考えている。
今回の腰痛で、体が思うようにならない分、あれこれ考え巡らす時間はあって、真面目に思うこと。愉快で陽気もいいけれど、トーンダウンを試みて、万事落ち着きを!
痛くても、スープの野菜を刻み、サラダを作り、食欲あるから、まだ切り抜けて、あとの楽しみを待つ気持ちはある。
未だ、そのときには、早そうだ。
無理をしなくても上手に愉しむすべは心得ている。
夢は子や孫やひ孫に任せて、私はゆるりと、歩を進めよう。
書くことは、きっと、最後まで行けるんじゃないだろうか。

#死んだほうがマシ ?!
 痛みは嫌だ
#食欲衰えないから 、まだ、
 生きるつもりらしい

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