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524 82歳暮らし断片

(65)早春の哀感

 徐々に話の向かう先はわかっていた。当事者にとっては、重苦しい現実と同時進行で、いずれ、その日が来ることは承知していて当然である。
煮詰まって、あれよあれよと、高齢男性の落ち着き先が決まった。
 父や夫や大好きな男友達との別れの時より、ぐっと胸に来た。80代半ば過ぎてから、生まれて育ったこの屋を、知ってか知らずか、彼は、今日、出て行く。代々からの
広い田地田畑と屋敷を引き継ぎ、主として永らく在った。
長命の母を送り、よくよく尽くしてくれた妻に先立たれ
、遠方の嫁ぎ先からちょくちょく来てくれる一人娘には子供がない。
現在、家は安泰で、一人息子にお嫁さんが来て、順序よく女児、男児二人、健やかに育った。
 本人は過去、地元の議員なども務め、顔が広く、周りに友達はたくさんいたが、最近は、歯が抜けたように、カフェで集まる者もいなくなってしまった。
コロナ以前に法事で顔があった時、私を相手に、機嫌よく話をされたので、まさか、もう、その時から少しずつ頭がまだら状態だったとは、きがつかなかった。
 よく食べるのにホッソラ長身で、元気な暮らしぶりに思っていたが。
 徘徊もせず、特に在宅で困ることはなかったが、孫たちは大人になり、婿さんだ嫁さんだと、もう家にいない。ついていけないおじいちゃんは、在宅の高校生の孫と、もう外に出ている兄との区別はつかず、滑舌の悪い言葉で何度も頓珍漢!若い者の優しい気持ちも、折れてしまう。
 コタツに入りテレビを見るでもなく、たまに訪れる親類に、とてつもない大声で昔話しがやまらない。
 粗相があるようになったのか?兎に角、然るべき施設に入ったほうが良いということで、今日の引っ越しになった。
 進学とか、結婚とか、家を離れる体験はする人が多い中で、この家で生まれ育ち、一歩も外へ出たことがない。母に育てられ、妻に助けられ、立派な後継ぎとして、父として、ずっとこの屋敷で暮らしてきた人。
 本家の主として、冠婚葬祭取り仕切り、大きな二間続きの座敷には、いつも沢山の人が集まっていた。私もその末席に居合わせたこともある。
 主役は申し分なく場を進行させ、(兄様)は、頼もしく堂々と役を果たした。
 外へ出ても、何かと役を引き受け、話好きな有名人だった筈である。
 同時代が背景の親や妻は兎も角、その次の世代とは、些かの齟齬もあったかもしれない。
 世の中のテンポが、誰が想像するより早くなり、AIとかに、かき回されて、どんなに落ち着いた頭脳明晰な優秀な人物でも、今まで生きてきたようにはいかない。
 政治家のみならず、学者も、宗教人も、芸術家も、市井に生きるすべての人も、今、少し立ち止まる勇気と落ち着きを持たないと、行く末の希望が見えてこない!
 こんな現実の中の、ある家庭の、今日の変化。総てが流されていく時の中、八十路の男性の境遇の変化を、同じ八十路の女として、込み上げてくる哀しみに、心騒ぐ。
こうして、私が思いを書き散らしている、このときに、彼はどんな気持ちで何処にいるのだろう?!
 抱きしめてあげる人がいてほしいなあ!

#何れこの時は来る
#最後の最後は 、歓びと共に
 あるべきと願う

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