見出し画像

45 3 81歳の暮らしから

(90)受け取る人

 挿絵の写真の野菜はである。花やら野菜やら漬物やら煮物やらお菓子やら。お土産もよくもらう。手作り手芸の小物などもたくさん受け取る。

近所付き合い

 圧倒的に畑の生り物。新鮮野菜はありがたく、挑戦してみたと珍しい種類の、例えば超甘極小の瓜なども貰う。売り物のようなきれいな見栄えを好む人や、土付きを面倒がる人がいる中で、私の顔がいつも浮かぶのは、(うわー、面白く曲がってる)(土がついてるなんて大嬉し)(残らず使わせてもらうね、大事な作物だもんね)、満面の笑みで受け取る私だからだって。
序に、畑で体を動かす気持ちよさとか、隣の畑を借りてる人との情報交換の楽しさとか、おまけの話も付く。
道一本で向き合っているご近所様でも、コロナ以来は滅多に顔を合わせないが、お土産や、おすそ分けや、持ってきてくれるときに、よもやま話をする。あなたは喜んでくれるから、足が向くよと言われて、そうかなあと?ほとんど機嫌よく玄関を開ける私は、他の事情がわからない。

聞かないのに

 玄関先だけの人もいるけど、時間あるならお茶
のんでく?
いい加減な掃除と雑然たる部屋、台所の大きな卓前に招じ入れ、まずまず温かい番茶なりと。
私は聞かないのに、何故だろう。近況話しているうちに、気がつげば、目の前の友は、客人は、長ーい、熱の入った、思い出話というか、告白というか、エネルギッシユに語り、テンション完全に上がっている。
身の上話だって、所望したわけでないのに、そんなこと喋っちゃっていいの?ストップかけたい気持ちになることもある。口から出たことは引っ込められないよ、私耳はいいからね。知らないよ。
 そんなわけで、思わぬ人までが、思いがけない人生を熱込めて話していく。
男も女も老いも若きも、千客万来。
貧民窟みたいな適当なごちゃつき具合に、つい、気が緩むのか、みんな勝手に、あれこれ放出していく感じ。
 もの好きというか、記者魂というか、書き物グセのある私は、どんな話も自分の引き出しに、きちんと収める。

形があるものないもの

 形のあるものへの執着は薄く、形がなくなるところまでで一区切り、同じ貰い物、受け取るものでも、この求めもしないのに勝手に降って湧いて私の心においていかれた、人生譚のようなもの。
これが、読書とか学問とか、勉強とかでなく、生きて生の動きを見せてくれる人の有り様。向き合って、聞いていると、様々な物語を含んで、示唆してくれることの多いこと!
人の話を聞くのが好きだ。こ難しい理屈でない、庶民の親しい声を拾い集めて、その中から自然に、感じる真理。
知識人や学者が、もう少し力があれば、持てる宝を万人に行き渡らせることができるだろうに。

渡せるものが在れば

 受け取る専門の自分が思うこと。私の渡せることはなんだろう?
形のあるものは、何にしても、お金もないから無理、目に見えないもので少しでも、他に残したり渡したりできることを考えないと。
誰が読もうと読むまいと、今、私にできることは、いつも今の自分を表現して、書き記すこと。これで自分の気は、晴れているのだから!

#くれたがる人たち
 聞かせたがる人達
#なんでも 、一旦、受け取る


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?