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545 83歳の日々

(20)せっかち

 しばらく調子が良いと、必ずやってくる、きやっ!
ギクッと絶望的な、あの少し前の状態。
忙しく次々事をこなしていて、それも、まずまず順調なときに、得てして襲ってくるしぶとい腰痛。
大事が次々あって、持病とも言うべき腰痛の入り込む隙はなかったのに。
 そうなのだよ、99%うまく進んだその頃に、落とし穴があるのは、もう何度も体験済みなのだ。
今朝だって、雑紙を集めに来る日なので、もとより用心して、新聞紙の束やらざつがみの袋やら、古本の束ねたのを、何回にも分けて、回収に来てくれる道路の縁に積み上げた。
玄関から道路まで、奥へ引っ込んでいる分少し距離があるのを、のたのたと三往復した。腰をさすりながらのたのたと。
あさのしごとをおえて、やれ、朝食。
玉ねぎとレタスの山盛りサラダ、好物の甘いタクワン、海鮮の炊き込みご飯と玄米茶。
味噌汁作る余力がなかった残念。
独り身の気楽さ、あるものだけでゆっくり朝ごはんを済ませ、食後の新聞タイム。
食器を片付けようと遠くのものに手を伸ばしたら、きやっ!
ありや、おいでなすったよ!しばらく忘れていたこの嫌な痛み。
ここ数日の、注意深く行動しながら順調に事が進んでいたいい調子に、一打の影。
知っているから。一歩行き過ぎたら、あと数日の不愉快な不便な日々が続くのを。

 長らく生きた大方は、せっかち人間だった。速くて雑。

 中学生の時、進学にちからのはいる大きな学校で、各種成績の競い合いが激しく、年中コンクールがあり競争競争と煽られていた。
なんと、運針競技会なるものまであって、実に学年360人中15位に入った時は本人も驚いた。縫い目の美しさと、長さの二点で点数がつけられ、成績の良かったわけは、他の追随を許さない文句ない長さの得点であった。講評は苦しそうだった。確かに得点は高いが、どう見ても他のお手本になるような運針ではなかった。本人だって変な結果に居心地悪く、
表彰状を見せたときの母の苦笑いをいまだに覚えていた。

 その後の人生も、状況は変われども、性格の根本が変わりなく、とにかく速くて雑。悪目立ちする割に、本当にかちある評価は、得られるはずもなく、
二流、三流の人。数々失敗あるくせに、本人けろりといつもゆうゆう。ごくたまに、せっかち故の取りこぼしを残念におもうことはあっても、
自信をなくすような致命傷にならない不思議。
もう少し丁寧に、ゆっくりと、反省のようなこともするにはしたが、すぐ元の木阿弥。
早とちり、思い込み、無駄骨、失敗。懲りない人である。骨の髄から染み込んだ性格。きっと死ぬまで変わらないだろう。
 気はセッカチでも、身体はすつかりグズになった。正直な体は、重ければ重いように、痛ければ痛いように、
断じて動きは正直そのもの。

 雑ではあっても、思えばサッサさっさと早い早い、あの姿はいつしか過去のものとなる。現実のすがたは、せっかちの影も見えない。心の葛藤は外には見えない。
見えるのは、重たい身体をやっこら動かして、いかにも愚図な人、自画像を思うと、軽やかに笑い飛ばす心地にはなれない。
しかし、せっかちも嫌だが愚図も好きでない。
 
 深い椅子に座ると立つ時腰が危ないので、今日は、硬い椅子に腰掛けていなければ。せっかちに、遠くのものに手を伸ばさないこと。傍まで行って無理なく取り上げること。

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