533 83歳ゆらぎの中を
(8)的が絞れず
前回投稿してから、あっという間に20日間が経ってしまった。
つい先日、noteに投稿4周年の記念バッジをゲットしたところ。計算すると年に130篇は書いている勘定になる。
思い出のあれこれ記録を書いた後は、八十路になって、身辺事情を書き残しておけば、時代の特徴も残るかと、せっせとネタを拾っている。
混乱の世の中なればこそ、狙い定めて、いくらでも話の種は尽きない。ひらめいたら迷わず時を移さず、直ぐペンを走らせる。
どうした事か、珍しく、忙しい日も続き、ねたは沢山あったはずが、網にかからないまま、気付けば、約3週間のブランク。
思うに今年のタイトルがいけないのでは?ふと、引っかかった。
(ゆらぎの中を)と言うのが、足を引っ張っているのでは?
FBには、そのたびに短文で紹介しているのだが。
例えば
◯FB友を訪ねて、初顔合わせしたこと
◯婿殿の古民家行きで、義母の私の連れて行き甲斐を彼が喜んだこと
◯我がニュータウンの、シニアパソコン倶楽部の勉強熱心な80代のメンバーのこと
◯令和生れの曾孫達
のこと
◯物価高と生協のこと
◯花や野菜を届けてくれる有り難い友のこと
◯娘達との愉快なドライブの事
◯離れて暮らす長女家族へおもいやる事
◯いつも通う歌の会で、思いもかけぬ、懐かしい大先輩と遭遇したこと
これ此のように簡単に列挙したが、それぞれに、少し深煎りした味のある短編に書き込みたかった。
揺らぎという響きに反応したかのように、例えば一つの話題を題材に見つけたのに、さっと態度を決められず、グズグズ考えめぐらしているうちに、閃きが消滅、有耶無耶になくなってしまう。
妙な状態が続いて、自らゆらぎの渦に迷い込み、せっかく見つけたネタも消えてしまった。
常々考えていることは、まず、ありのままを文字に置き換え、文章にすること。そして、推敲というより、もうひとりの自分をしっかり据えて、編集者のごとく、対話しながら自分を支え切る。
私が文を書いているのは、究極、自分の生きた証拠を表出するため。
共感者がいようといまいと、ひたすら我ここに生きたりの証拠を残している。
いたずらに揺らいでばかりでは拉致もあかず。的を絞って、なるべくしっかりした文を残さねばなどと思っている。
さて、つい昨日、クリスチャンであった中学の恩師を偲ぶ記念の会が、先生ゆかりの教会で行われた。コロナが間に入り、先生のご逝去を知らされたのは、些かの時を要した。
中学を卒業して約70年、
今年の干支は辰年で、皆んなは84歳を迎える。クラス会を続ける役員も大変になり、一先ず締めて、後は有志でそれぞれにと方針がきまった。
当日は
先生の奥様や娘さんを中に、クラス会のメンバー12人。中京教会牧師様と奏楽は牧師の奥様。
説教はじめ、賛美歌、祈祷、お祈りと、なれないもの多数ではあったが、厳かに、温かく、しみじみとした会であった。
どんなことでも思い患うのはやめなさいと、聖書の言葉が胸にしみた。
場所を変えて、シンプルな明るい卓を囲み、幹事の心配り宜しく、上品なお弁当をいただきながら、恩師の在りし日のエピソードなどかたり、自分たちの近況も知らせあった。
妻の介護をしている男性、夫の介護をしている妻、一人暮らしの女性が多く、夫婦とも健康に暮らせている人は少数であった。
ともあれ、こんな場所に出てこれた人は、まず良しとすることにして、再会を望みつつ、校歌を斉唱して、会を締めくくった。
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