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【自由とは何か。】

社会、組織が複雑化した近代的システムにおいて、「何を自由と考えるか。」を再定義する必要がある。

近代において自由という概念は主観的なものだ。なぜなら、生まれた瞬間から、ある特定の組織(国家、核家族)への所属が決まる。この時点で、すでに完全自由はない。
つまり、私達は生まれた時から個人の文脈が決定する。客観的に見れば、誰もが組織に縛られている。

【近代的自由】
では近代的自由とは何であろうか。
それは、主観的に完全自由な環境を作ることで近代的自由になれる。
分かりやすい例は、富の蓄積であろう。
資本さえあれば、国家、家族はほぼ自由に選択が出来るであろう。また社会と契約する必要がないため、個人の行動も基本的に自由になるだろう。しかし、どこかの組織には必ず属しているというのが、近代の特徴である。
たとえ、移住するとしても、国籍も移さない限り、移住はできない。つまり、所属を変更するだけである。

【主観的自由】
近代の私達の自由は近代的自由でしかない。
完全自由は地球上には存在しない。(他の惑星ではあるかも知れない。)しかし、主観的自由は存在する。『所属を選択できる=近代的自由』である。資本的に裕福であれば、選択肢が広がり、主観的な自由を手にすることが出来る。近代において、自由というのは、選択肢を増加させることである。