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「一粒選りの生活」

 みなさんの生活の中で、今本当に大切で欠かせない物はなんでしょう? その頭に描いた物は、どんな思いで購入したか覚えていますか? よく吟味をして購入した物か、意外とパッと決めて買った物かどちらでしょうか。どちらにせよ、暮らしの中で時間とともに刻まれた、人と物の関係性があってこそ、今大切で欠かせない物が身近に存在するわけです。そんなかけがいのない物との生活を羽仁もと子は、「一粒りの生活」と表現しました。

一粒りの生活
 さて今日私のお話ししたい主題は、私たちの家に一粒りの衣服家具が欲しいということです。経済を上手にして立派な衣服調度を取揃えようというのだなと、簡単にとられそうないい方ですが、もっと込み入った希いです。
〜中略〜
 自分の家に一流の工芸家をんで、その家や生活に合うような家具をこしらえても、それも本当の一粒選りとはいえません。私のいう一粒選りは、いくら金を出してもそれだけでは手に入らない代りに、どこの家でも心がけ次第で、その生活に合わして、年月とともに調ととのえることの出来る衣服家具のことです。
〜中略〜
 入用いりようなものが足らなくて、妙なものでそこの所を間に合わせたり、それでいて他方に余計なものがごたごたあるという生活は、一粒選りの家具が欲しいと、私に思わせるもとでございます。
 ぴかぴか光った家具が美しいと思ったり、艶消しが上品でよいと考えたりするものですが、道具ばかりでなく家にしても、たとえそれが借家でも、自分の住む所、使う所の物をほんとうに愛して、それをどうしたら美しいよいものにすることが出来るかを落着いて考えるのは楽しみでもあるようです。
 私の家は応接間と小さい食堂と、お手伝いの部屋の他には、家族三人のための六畳間三間にベランダ、ただそれだけの家です。まずこのベランダからでも一粒選りの家具にしたいと思っています。今あるものをすっかり捨てて、別の物を新しく買うのでなく、そこにあるものはさまざまの機会と縁故で集まってきているのですから、その中から何か中心になるようなものを選んで、それに合うようなものが、家のどこかにないかしらと探してみたり、よく考えた上で、新しく何かを買うなりしたいと思っています。ベランダをどう使うかがまた問題です。そこを休み場にするか、勉強にも使うか。ベランダ一つの一粒選りにも、いつまでかかるか知れないのですが、思いの変わるたびに、趣きを変えるのもまた面白いことです。

羽仁もと子著作集 第21巻『真理のかがやき』「一粒選りの生活」より抜粋

 羽仁もと子著作集 第21巻『真理のかがやき』の中に登場するこの「一粒選りの生活」には、「家事家計質問会にて」という副題がついています。そして、上記で紹介した文章の前には、当時行われた「家事家計質問会」に集まった方々に対して、羽仁もと子は「家計のやりくりには、上手もあれば下手もある」という話しをしています。その中で、もと子は、自らの経済下手から家計簿が生まれたことを正直に「下手の巧妙」という言葉で話しています。

 こんなに大勢の方がおいで下さって誠にありがとうございます。この中には家計の大変お上手な方と、また下手で困ると思っておいでになる方もあると思います。私自身もその後の部に属しております。
 人間のすることには家事家計以上のことが沢山あるからなどと、勝気に自分をかばうような思いをすてて、婦人之友にも、それに関する記事を沢山扱ってきました。そうするうちにお友だちの中に、家事家計の上手な方が沢山出来てきました。上手なことは、どんなに小さい取柄でも育てなければならないように、不得手なことは何年落第しても進歩を願って練習したいと思います。
 そうしてまた、きょうこの会に出るために、家事家計に私はとうとう落第ばかりしてきたのかと考えてみました。そして思いがけなく怪我の功名というような、下手の功名を発見して有難いと思いました。それは、私は経済下手で予算超過に苦しみ、ひどく苦心をした結果が、今皆様の使って下さる家計簿になりました。それまでの家計記録は、長い間ただどれだけ使ったかを書くだけでした。たやすく予算に照らして、幾ら使って幾ら残っているということが、一目でわかるようにしたい。それに手元にあるお金の総額が分かって、今日は月の十日だから、まだ三分の二残っていれば、今月中大丈夫だなどというようなことでは、一日に大きなお金の出ることもあるのですから、全く頼りないことになる。これはどうしても、費目分けに予算を立てて、それぞれの費目について幾ら支出したかを記すようにしなければならない。殊に、衣服費家具費交際費などは、一月と二月と同じだけ支出するような性質のものではないから、予算は一年を単位にして立てなければならない。それがあの家計簿です。家を持ってから三年目のことでした。今になって考えてみると、私の予算超過を、毎日引きとめてくれる力はないのかと、二、三年の間探し通していたようなものです。実に珍妙な話です。しかしどんなに珍妙なことでも、誠意をもって取扱っていれば、実に思いがけないよい実を結ばせて頂けるものです。ここにおいでになっている皆さんの中でも、どんな珍妙な問題でも、心からこの中に持ち出して下さったら、それがもとでどんなに大勢の人びとのためによい研究が出来るか知れません。

羽仁もと子著作集 第21巻『真理のかがやき』「一粒選りの生活」より抜粋

 そんな羽仁もと子の生活から生まれた『羽仁もと子案家計簿』。予算超過に苦しむ間は、きっと前述のような一粒選りの生活は望めなかったでしょう。家計簿が、予算超過を引きとめてくれたからこそ、「ぴかぴか光った家具が美しいと思ったり、艶消しが上品でよいと考えたりするものですが、道具ばかりでなく家にしても、たとえそれが借家でも、自分の住む所、使う所の物をほんとうに愛して、それをどうしたら美しいよいものにすることが出来るかを落着いて考えるのは楽しみでもあるようです。」と、暮らしへの展望が見えてきたのでしょう。
 現在、物価高をはじめとする家庭への経済の影響から、不安な日々が続いています。だからこそ、今あるわが家の経済状況を家計簿で可視化することで、ただ不安に過ごすことがなくなり、暮らしの展望が見えてくるはずです。


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