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「娯楽費はなくてはならないものです」

 コロナ不況と呼ばれる2020年以降は、厳しいやりくりを余儀なくされている家庭もあるでしょう。家計を切り詰めたいと思ったとき、まず「削る」ことの対象になってしまいがちなのは「娯楽費」ではないでしょうか。羽仁もと子は、この「娯楽費」について、どのように考えていたか、ご紹介しましょう。

よき、ほどよき楽しみ
 よき、ほどよき楽しみは、人びとの心をやわらげ、且つ働くための元気をつくるものでございます。私たちの家には楽しみがなければなりません。
 一家の責任をその肩にになって働いている、壮年の主人と主婦は、その責任も重いだけに、それに堪える力さえあれば、働いて着々とその出来ばえのあらわれるのが、大きな楽しみなのですから、ほかには別段に楽しみを欲しいとも思わない場合もありましょう。自分たちのこの心をもって、うっかりと、家人もすべてそうであろうというような気になっているならば、それは大きなまちがいでございます。
 子供や老人や、まだ一人前にならない息子、娘、雇人などは、つねに心がひまであるために、さまざまの楽しみを追い求めるもののようです。厳格一方で取り締まると、その無趣味な生活にたえかねて、さらにより以上の弊害が起こります。私たちは子供にも雇人にも、めいめいに自分のすべき学問なり仕事なりを、十分忠実に勉強して、そのなかに多くの慰めを見出させるように尽力するとともに、また折りにふれて適当な特種の娯楽を与えて、すべての家人をして、自分の家と自分の現在の生活は楽しいものだと思わせるようにしたいと思います。
 ある人は子供をよろこばせるために、かずかずの贅沢ぜいたくなおもちゃを与えたりすることがあれば、ただただ彼等を欲深くするばかりで、決してほんとうに満足させ、また楽しませることにはなりません。ときに家族の遠足、または長雨のつれづれには、家内をにぎやかにするために、おしるこやおだんごのごちそうごしらえもよかろうと思います。老人も常に閑却かんきゃくしないで、その好む仕事を与え、家中が打ち解けてよろこぶときを、できるだけ多くしたいと思います。立派なはなれ座敷にみち足りた日を送るご隠居に、むしろわびしげな様子がみえて、朝から晩まで孫たちにせめたてられているような老人に、かえって自覚せぬ満足の色のあるのは、人間の社交的につくられているしるしなのでしょう。ひとりひとりに部屋を持って、互いに気を散らさずに仕事をするのは理想的でありますが、それが決してはなればなれでなく、めいめいの仕事をちゃんとして、食事のときに顔を合わせるのが、心から楽しみであるように、つねに互いに温かみのかよっている家族でありたいと思います。
 世間大多数の小家計、または中家計のうちの小家計では、娯楽費の出どころがありません。しかも娯楽費はなくてはならないものです。そういう家庭の主婦はまず娯楽費だけでも働き出すように、それぞれの才能と持ちものを働かせなくてはなりません。主婦または家人のちょっとした協力によって得た金を、娯楽費に当てるのは、一層家族の親睦と楽しみを深くすることにもなりましょう。

羽仁もと子著作集 第9巻『家事家計篇』第13章「家庭と娯楽 よき、ほどよき楽しみ」より抜粋

 「節約、節約!」と、がまんばかりしていては、心も縮こまってしまいます。また今のような猛暑日の最中では、無理な節電は禁物です!
 「教育費」の山に備えて、貯蓄が優先される家庭では、遠くに旅行できないかわり、県内の「道の駅」巡り、近郊の山歩きなど、少額でも楽しめることはないか、探してみることも、また楽しみな作業ではないでしょうか。
 ただ、子どもが中高生になると、学校の行事や部活で家族の予定が合わなくなり、娯楽費を使うこともなくなったという家庭もあるようです。それでも、大人も子どもも、仕事や学業など各々の役割だけに没頭するのではなく、家族が顔を合わせる機会や、一緒に過ごす時間を豊かにすることが家族運営には大切で、そのための「娯楽費」はなくてはならないものであると、もと子は語っています。ただやみくもに節約=娯楽費とするのではなく、減額するにしても、家族でどうやったら楽しめるかを考えた上で、予算を決められるといいですね。


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