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「シャルリ・エブド」襲撃事件を考える (週刊かけはし 2015年4月6日号)



幾重にも張りめぐらされた「仕掛け」
レイシズムとテロリズムにどう対決するか


思い切って話してみよう

 『現代思想』3月臨時増刊号(青土社刊)として「シャルリ・エブド襲撃/イスラム国人質事件の衝撃」が刊行された。さらに白水社の月刊誌「ふらんす」の特別編集号『シャルリ・エブド事件を考える』も書店に並んでいる。両方とも急いで読み終えた。「シャルリー・エブド」問題について、「イスラム国」と重ね合わせてさまざまな議論が錯綜している。これらの特集号を見てもそうだ。

私は、こうした「議論の錯綜」は当然であると考えている。私自身の思いも乱れており、とりあえず議論をさらにややこしくさせることを覚悟の上で、おもに「シャルリー・エブド」問題に焦点をあてて考えていることを書いてみたい。本紙でも紹介してきた「地政学的カオス」の議論と「思考のカオス」とはおそらくつながっており、そこから私たち自身が自由であるはずもない。

むしろその「カオス」の中でもがくことを通じて、なにごとかをつかみ取っていくしかないからである。とにかく今はまだ、議論を「整理」したり「まとめ」たりするという段階ではない。何ごとか口に出すことから始めなければならない。

「非宗教性」が抱える矛盾


「かけはし」三月二日号(2360号)に掲載されたジルベール・アシュカルとのインタビューでは、「宗教批判」の中から生み出された「反教権主義」の伝統を根幹に据えたフランス左翼の伝統について、それが「宗教ならびにその信者全般に対して非宗教主義的な尊大さという形を取る可能性がある」と指摘し、「シャルリー・エブド」においてもそれが表現されていた、と指摘している。

かつてアシュカルは、ムスリム女性のヒジャブ(スカーフ)の問題を取り上げて次のように述べていた。

「女性の自由の最も初歩的な側面のひとつは、自分の望むような服装をする個人の自由である。イスラムのスカーフが、さらにましてや身体をよりいっそう包み込むこの種のものが、女性に強制される場合には、日常生活における性の抑圧の数多くの形態のひとつなのであり、それが女性を見えなくする役割を果たすものであるだけに、よりいっそう明白な抑圧の構造である」「しかしながら、もし抑圧者に対して強制を用いるのではなく女性自身に対する強制を用いて力で女性を『解放』することが追求されるならば、この解放の闘いを大きく傷つけることになるだろう。たとえその着用が自ら進んでこの隷属に従ってのものであると判断できるとしても、宗教的衣装を強制的に脱がせることは、抑圧の行為であり、真の解放の行為ではない」。

「教育の自由を脅かす危険があるということによって、非宗教性の名の下に、公立学校でスカーフなどのイスラム教の宗教的衣装の象徴の着用を禁止するのは、ひどく自己矛盾した態度である。なぜなら、逆説的なことに、それは宗教学校の拡大を促進することになるからである」(「イスラム原理主義とは何か」、G・アシュカル『中東の永続的動乱』柘植書房新社 二〇〇八年)。

アシュカルによるその批判は的を射たものであろう。レバノンに生まれ、レバノン内戦の中でマルクス主義活動家としての政治的バックボーンを形成し、同時に移住したフランスという政治的・思想的環境への違和感を抱きながら国際的なラディカル左翼としての闘いを蓄積してきた彼の経験が、この発言の中に示されている。

国家による自由 国家からの自由


その一方で私は、フランス左翼の伝統にしみついた共和制思想としての「ラディカルな非宗教主義」についても共感するところがある。

フランスのいわゆる「ライシテ」(厳格な政教分離=とりわけ公的政治・教育からの宗教の排除)原則については、その実態的機能に関してさまざまな批判がある。その一方で憲法学者の樋口陽一は「教育の中立」とは「教育の国家からの自由」なのではなくて「国家による学校からの宗教色の排除によって確保される『中立』を主張する考え方」であると強調し、その観点からフランスでの「女生徒が着用するベールの学校からの排除」問題を語っている。

さらに日本国憲法の政教分離に関する最高裁判決(たとえば津地鎮祭訴訟――後述)に関しても、樋口は「政教分離原理の根底には、宗教団体や親の信ずる宗教から個人の良心を国家干渉によってでも擁護する、という決断があるはずである」と「親の信念に反してまでも国家が『自由への強制』をつらぬく、という公教育の本質的性格」を強調している。彼は津地鎮祭訴訟の最高裁判決では、そうした点が「いちじるしくあいまいになっている」と批判しているのである(樋口『近代国民国家の憲法構造』 東京大学出版会 一九九四年)。

樋口はまた別の著書の中で、レジス・ドブレによるD(民主主義)とR(共和主義)の二分法を紹介している。そこでは国家と学校の関係について、Dが「国家からの自由」という枠組みの中での「自由競争」に価値を置いているのに対し、Rは「国家による社会からの個人の解放」となる。つまり、「国家からの自由」という名目で、社会(たとえば強者としての大資本や大宗教団体)が権力を行使することを「国家」という公共性によって統制していくという考え方である(樋口『「共和国」フランスと私 日仏の戦後デモクラシーを考える』(柘植書房新社 二〇〇七年)。

こうした「自由」をめぐる「国家」と「社会」の対立の構図は一九世紀の英国のジョン・スチュアート・ミルの『自由論』(一八六〇年)にも示されている。

「社会そのものが専制的になり、社会がその一員である個人を抑圧する際には、抑圧の手段は国家権力を担う官吏の行動だけに限られているわけではない。社会は自らの決定を実行できるし、実際にも実行している。その決定が正しくなく、間違っているか、社会がそもそも干渉すべきではない事項に関する決定である場合には、社会による抑圧は通常、政治権力による抑圧よりもはるかに恐ろしいものになる」(ミル『自由論』山岡陽一訳 光文社古典新訳文庫)。

ここで「社会による抑圧」という場合、「宗教による抑圧」も含まれることは言うまでもないだろう。

権力・権威としての宗教に対する原理的批判である「ライシテ」が、抑圧・差別された人びとの抵抗・結束の原理となった「宗教的アイデンティティー」にどうかかわるかという課題は、別個の政治的問題として論議される必要がある。その点でアシュカルの「尊大な非宗教主義」批判は正しい。しかし、私はそれでもなお「国家と宗教の癒着」「権力としての宗教」や「宗教的権威主義」への批判の意義についてあいまいにしかねない「ライシテ批判」には強い違和感を持つ。それは、われわれにとっての「天皇制批判」の問題と深く関わっているからである。

さきほどの樋口陽一からの引用にあるように、とりわけ日本国憲法二〇条②項「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」、第③項「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」という厳格な政教分離原則の適用が、一九七七年七月一三日の津地鎮祭違憲訴訟最高裁大法廷判決による二〇条解釈(目的・効果論)によって打ち消されたことは重大な転機となった。

すなわち「政教分離」の戦後憲法の下での国家と神道の再結合である。

「言論の自由」に制限はあるのか

 「シャルリー・エブド」の執拗なまでの、そしてきわめて自覚的な「ムハンマド侮辱漫画」掲載については、「ヘイトスピーチ」と同じであり、「言論の自由」の行きすぎた行使であるという言説が盛んである。「言論の自由」には「他者を差別・侮辱する自由」はなく、一定の限界・制限が課されるべきである、という意見も広がっている。とりわけ日本においてそうした主張が顕著であるようだ。

しかし私は、こうした方向に「シャルリー・エブド」問題を誘導することは危険である、と考える。本当に「他者を傷つける自由はない」のか。しかしごく一般的に、かつ誤解を恐れずに言えば「風刺・批判・嘲笑」の表現は、その対象を「挑発」し、からかい、「傷つけ、怒らせる」ものである。敢えて言えば相手を「挑発し、怒らせる」という効果を伴わない「風刺、批判」はありえない。それだけの毒物を含まない「風刺」は、「風刺」たりえないのではないだろうか。それだから風刺は「危険」に満ちた行為なのである。

もちろんその「風刺、嘲笑」が差別・抑圧されている他者・弱者に向けられる場合、われわれはそれを徹底して批判するべきだ。さらにその意図が何であり、どのような政治的・社会的文脈において、その「風刺・嘲笑」がなされているのかを具体的に究明・批判すべきであろう。

「シャルリー・エブド」は覚悟をもって、権力・宗教的権威への「挑発」を繰り返した。近年はきわめて執拗かつ意図的にイスラム教とムハンマドへの「挑発・嘲笑」が積み重ねられていった。私は、その政治的意図、表現について、具体的に検証・批判することが重要であると考える。しかしそれは「権利としての表現の自由」の制限、というものとは位相を異にする。

巧妙な「罠」に陥らないために


「シャルリー・エブド」が敢えて、そうした「差別的」ともいえる挑発を繰り返した意図はどこにあったのか。「シャルリー・エブド」の意識的行為としてのムハンマドとムスリムへの挑発が、どのような政治的行為としてなされたものであったのか。その構造はもっと明確にされるべきなのだが、納得できる説明は、残念ながら『現代思想』臨時特集号などの誌面からはほとんどうかがい知ることはできなかった。

かつてラディカルな反権力の闘いにおいて、緊密な友好・協力関係を築いてきた編集人のシャルブら「シャルリー・エブド」の漫画家たちとフランスNPA(反資本主義新党)の同志たちが、近年少なからざる点で意見を異にしてきたと語られているが、その具体的経過や背景への説明は、NPA自身からあまりなされていないようにも思われる。実は、この点こそ重要なことなのだが。

「シャルリー・エブド」への衝撃的なテロ行為についての論議が「言論の自由の限界」という方向にそらされることは問題を誤らせるものだ。中東近現代史研究者の栗田禎子は、西谷修(フランス思想研究者)との対談で次のように述べている。

「いま『表現の自由』か『宗教の尊厳』かという二項対立図式が提示されているわけですが、これはいずれも『罠』だと思うのです」。

「一方に『表現の自由に対する攻撃だ』『共和国が襲われた』というプロパガンダがあり、これはフランスの民主的市民・知識人に対して仕掛けられた『罠』です。ところが『表現の自由だ』と言った瞬間に、今度はそれに対抗するかのように『預言者を冒涜するのは表現の自由の限度を超えているのではないか』という議論が始まるのですが、そこには逆に『宗教の尊厳』の名のもとにムスリムの市民・知識人に仕掛けられた罠が存在するのではないか。非常に巧妙な仕掛けの罠になっていると思うのです」(対談「罠はどこに仕掛けられたか」 栗田禎子×西谷修 『現代思想』3月臨時増刊号「シャルリ・エブド襲撃/イスラム国人質事件の衝撃」)。
栗田はさらに語る。

「この罠の巧妙さは、一週間後もう一度ムハンマドの風刺画が掲載されたときにさらに明確になりました。再掲載に対しては、今度は世界中のイスラーム教徒に反発が拡がって、各地で激しい抗議が起こりましたが、重要なのはそれが中東・イスラーム世界内部の民主勢力に対する暗黙の圧力、締めつけとしても機能したということです」。

栗田は、この事件が「中東の革命にとっては……非常にデリケートな局面」で起こり、「『表現の自由はあっても預言者を侮辱することは許されない』という論議がにわかに中東世界内部でも活性化することになり、結果的に宗教の引き締めに利用しようとする潮流に有利な状況が生まれ、民主勢力の側は追い詰められる、という効果が生じつつあります」と説明する。

ある意味、「善意」で語られている「ムハンマドを侮辱・嘲笑する画像は、表現の自由の行きすぎ」と言った言説は、ムスリム世界内部での言論弾圧に利用される「罠」でもあることを、栗田は適切に指摘している。この点は、きわめて重要だ。

テロリズム批判を再構築する

多くの人びとは今回の「シャルリー・エブド」への襲撃・テロ事件が、中東・アフリカ系のムスリムの人びとの移民、その二世・三世たちの置かれている過酷な差別、排外主義の拡大、そして貧困・失業という背景の中で作りあげられたフランス社会への絶望的な怒り・憤激を背景にしたものであることを、繰り返し強調している。それは幾度も確認されるべきである。「右」から「左」までふくめたフランスの政治・社会・文化へのムスリム移民社会の側からの拒否を、この事件の中からくみ取ることができるだろう。

しかしそうした差別・抑圧の全般的背景と、「シャルリー・エブド」襲撃の政治的性格を直結させて「ムスリム青年たちの怒りと絶望の表現」と意味づけることは、あまりにも安易ではないか。それは二〇〇一年の「九・一一」を、「ムスリム民衆のアメリカ帝国主義に対する怒りの爆発」などと捉えて、その自爆テロを遂行した「アルカイーダ」の政治戦略・思想への批判に踏み込むことを回避した誤りにつながっているのではないか。

この点で、パリにいる鵜飼哲が次のように書いていることは正しい、と私は思う。

「このタイプの政治的暴力の背後にあるのは、イスラームの原点に復帰すると称して、シャリーアの文字通りの適用を強要する反動的な思想である。それは典型的な『白色テロル』であり、右翼的暴力にほかならない。日本の戦後史に例を取れば、深沢七郎の『風流夢譚』を雑誌掲載した中央公論社の社長宅が襲撃された一九六一年の嶋中事件、一九八七年の朝日新聞社阪神支局襲撃事件などとまず比較されるべき行為である」と鵜飼は述べ、体制派による「反テロリズム戦争」への動員強要に屈することなく「逆流に抗して、もうひとつの『テロリズム批判』を分節する必要をかつてなく強く感じている」と強調している。

そして「殺戮の政治的性格と、その実行者が移民系の若者であったことも、厳密に区別して考えなければならない」とも書いている(鵜飼「一月七日以前 アラブ人の友人たちとの対話から」、前掲『現代思想』三月臨時増刊号)。
私は、この栗田、鵜飼の見解に共感している。

「アラブの春」再生を展望して


「シャルリー・エブド」問題を考えることは、当然「イスラム国」と「対テロ戦争」にストレートにつながっている。
私は、「イスラム国」などの「過激主義」テロリスト集団を、アメリカ帝国主義などによるアフガニスタン・イラク戦争という歴史的犯罪の「産物」という、それ自身は「正しい」論議にとどまり、「問題は帝国主義の戦争を阻止すること」という「反帝一元論」的な認識を繰り返しているだけではダメだと思う。「イスラム国」は決して米国や欧州帝国主義の「従属変数」なのではない。それ自体独立した政治主体としての「イスラム国」に立ち入って、その思想・政治・支配の実態についての批判を行うべきなのだ。

ここでは、二〇〇一年「九・一一」以後のアフガニスタン・イラク反戦運動でWORLD PEACE NOWが掲げた「テロにも戦争にも反対」というスローガンを批判した一部の左翼に対する反批判の立場を継承すべきだと考える。テロリズムの思想と戦略・戦術に無批判的であることは、こうしたテロリストたちが自己の支配下に置こうとする民衆に対する暴力・反動的行為への承認を意味してしまうからである。この問題については別稿で述べたいが、二〇一〇年一二月にチュニジアで始まった二〇一一年の「アラブの春」が、こうした「イスラム主義的反動」を追い詰める、かつてない闘いであったことを再度強調したい。

酒井啓子は述べている。「シャルリー・エブド」事件へのさまざまな反応において「決定的に欠けているものは……イスラム社会内部からの『表現の自由』への志向であり、殺人をイスラームのテロではなく『個人の犯罪』と見なす欧米の視点だ。だが、短い期間であったとは言え、それが目指されたときはあったのだ。そのことを人びとが記憶していることに、希望を見出したい」(『世界』3月号、「シャルリー・エブド襲撃事件が浮き彫りにしたもの」)と。

栗田禎子も先に引用した西谷修との対談で、二〇一一年の中東革命直後には「本当にアル=カーイダは完全に影響力を失い、人びとの意識や政治の舞台からウソのように消えてしまうという状況がありました」「民衆が街路を埋め尽くして、民主主義や社会的公正を求めるとき、テロリスト集団は太陽にさらされた雪のように溶けて消えてしまう。ですから、イラクとシリアに本当の意味で民主革命が起これば、テロリストの付け入るすきはなくなるということです」と語っている。

私は、この二人の「楽観的展望」を共有したい。

(国富建治)

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