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【911テロ-反テロ戦争開始から20年】読書案内『陰謀論の罠』-「9・11テロ自作自演」説はこうして捏造された (週刊かけはし 2007年12月3日号)

読書案内『陰謀論の罠』
「9・11テロ自作自演」説はこうして捏造された
奥菜秀次 著/光文社刊/1000円


世界の現実に正面から
立ち向かおう
なぜ単純な「陰謀」論を安易に受け入れるのか

「9・11」は米国の陰謀か?

 一瞬にして三千人もの生命を奪った9・11同時多発テロから、六年の歳月が過ぎた。この9・11テロからアフガン侵略戦争、そしてイラク侵略戦争へと至る経過のなかで、9・11発生直後から一部で喧伝されてきた「9・11テロは米政府による自作自演である」とする陰謀論が、アメリカ国内においても日本においても一定の市民層や一部の「良心的なピース系活動家」にまで浸透している。

 マスメディアでは、いくつかの週刊誌とテレビ番組がこの「9・11米政府自作自演」説をセンセーショナルに取り上げ、東京新聞でも「アメリカで盛り上がる『自作自演』説」と「陰謀論」に好意的な形で、このトピックを取り上げている。「市民派メディア」として、平和や人権の問題を積極的に取り上げてきた「週刊金曜日」もこの「自作自演説」を全面的に主張する原稿を掲載している。インターネット掲示板上で熱心に議論したがる人たちの間では、「9・11陰謀論」を支持する人々の方が否定派より多数であるという状況である。

 また、アメリカ国内において「9・11の真相究明」を訴えるグループは、屋内のシンポジウムや集会から、最近は街頭に進出して「9・11もイラクもネオコンの 仕業」というプラカードを掲げて反戦デモに参加するようになっている。日本の反戦・平和の運動においても、少なくない人々が、この「9・11米政府自作自演」説を信じているようだ。

 この「9・11陰謀論」の主張の根拠をいくつか列挙すると、
・世界貿易センタービルに激突した飛行機には窓がなく、機体は真っ黒。とても民間機には見えない。

・ペンタゴンに激突した跡が、飛行機が激突したにしては穴が小さい。しかも機体の残骸が発見されていない。

・乗客がテロリストに立ち向かって墜落したとされるユナイテッド93便にも機体の残骸がない。また、機内から乗客たちが家族などに電話したとされるが、航空を飛行する機内からは携帯電話は通じない。

・WTCが崩壊したのは飛行機が激突したからではなく、爆発物による発破が原因。

などなど。

 このような「9・11陰謀の論証」をあますことなく、豊富な資料と情報ソースの提示によって丁寧に一つ一つ付き合って反論・論破したのが本書『陰謀論の罠』である。その「9・11陰謀論」の主張とそれに対する本書の反論を、ここで詳しく紹介する必要はないだろう。本書を読めば「陰謀論」の根拠としている事象が、なんと幼稚なトリックの積み重ねによって主張されているのかが理解できる。奥菜は、そのトリックの手口を、

・証言をトリミングし改竄する。特定少数の意見のみを紹介する。

・写真・映像の説明を事実と変える。自説に都合のよい物証のみを紹介する。

・状況が大きく異なる同じ事象において「違う結果が出るのは当たり前だ」と言わず、「同じ結果が出ないのは陰謀だ」と言い張る。

・事象の背景を説明せず、おどろおどろしく伝える。

・扱うテーマは大きいほどよく、自らの主張は小さな嘘の積み重ね。そうすれば、インチキがテーマの陰に隠れ見えにくくなる。

と指摘する。本書は、「陰謀論の解明」に留まらない、「メディアやカルトの嘘」を見抜く思考力と知性をいかに鍛えるか、という点においても非常に有用であるように思う。「陰謀論」など鼻もかけない人でも、頭の体操として読む分には無駄になることはないだろう。

また、「陰謀論のルーツ」として、広く浸透している「ルーズベルト真珠湾放置説」や「チャーチル・コベントリー爆撃放置説」の「脱陰謀論」的解明や「トンキン湾事件の真相」など、刺激的で興味深く読むことも出来るだろう。

アルカイダとは何者か

 しかし、ほとんど写真の一枚で論破されるような稚拙な「陰謀論」が、なぜ一部の平和運動の活動家をも巻き込む一大ブームとなったのだろうか。奥菜は、その理由を「全社会的な知的水準の低下」に求めているが、それでは「結果」を語っているに過ぎず、根拠もしくは答えにならないだろう。

 9・11テロ発生当初から「飛行機が激突する数十分前にユダヤ企業の社員たちはWTCから退去していた」というような珍説が、一部で囁かれていたが、本格的に「9・11陰謀解明運動」が開始され、『9・11ボーイングを捜せ』や『LOOSE CHANGE』などの映像が主にインターネッ トを通じて大衆的に広まったのは二〇〇三年のイラク戦争開戦以降である。そこには、存在しない「大量破壊兵器」や「9・11テロ実行グループとイラク・フセイン政権の関係」を(誰も信じないようなデマを)デッチ上げてまで、新たな侵略戦争に踏み込んだブッシュ政権への反発こそが一つの大きな根拠となっているといえるだろう。

 その心理は、

・アメリカは、その野望のためなら何でもやってのける。(だから9・11くらいの「陰謀」を企んでもおかしくない、というある種の「権力万能神話」)

・このような「巨悪」に対する反戦運動や体制変革運動は無力である。(だから自分は自宅でインターネットで情報収集して「陰謀」を突き止める)

・アメリカ帝国が「悪」として、それに対抗するアルカイダなどのイスラム主義者も「悪」である、という世界の構図に耐えられない。(「9・11米政府自作自演」なら米政府のみを非難すればよいとする「反米一元主義」的気分の表現)

・このような「巨大な陰謀」を暴露し、あるいは見抜いたものとしてのある種の「選民意識」。

などを指摘することも出来るだろう。そこにあるのは、複雑な「世界」を極度に単純化することで解釈したい、という隠微な動機である。その先に来るものは、奥菜の指摘するとおり、さらなる知的荒廃であろう。

 そもそも、これだけの「陰謀」を実行する政府が、なぜ「陰謀の解明」をテレビで流れるほどに「させるがまま」にしているのか、という時点で「9・11陰謀論」は破綻している。ブッシュが「陰謀説」の流布を放置するのは「痛くも痒くもない」ということ以上に「それが利益になる」からである。戦争犯罪の追及ではなく、「陰謀か否か」の議論によって反戦勢力や反ブッシュ勢力を分裂させ、決して世論の多数が「陰謀説」を支持することはないのだから。

 そして、一体どんな政府が、露見したら政権が吹き飛ぶであろう、これだけの巨大な陰謀を実行できるというのか。何人がどれくらいの訓練をつめば成功するのか、少なく見積もっても何百人のテロの参加・協力者が永遠に口をつぐむことを前提に計画し、実行できるものなのか。こんなことは「常識の問題」としか言いようがない。

 また、ウサマ・ビン・ラディンらアルカイダは「9・11」を自らの犯行と認めている。「9・11陰謀論」を流布し、あるいは支持する人々にとって「ビン・ラディン」や「アルカイダ」は、一体どのような存在なのだろうか。「すべてCIAが製造したCG映像で架空の存在」なのか、「アメリカの言われるままに犯行を追認しているだけの陰謀集団」なのか、あるいは「アメリカ帝国と闘う正義の武装集団」なのか、「陰謀論者」の人々の明確な規定を聞いたことがない。

「反ユダヤ主義」との連関

 米ブッシュ政権、ネオコンとともに「9・11陰謀論」のもうひとつの主役は「世界を裏から支配するユダヤ・ネットワーク」である。『陰謀論の罠』では、この「9・11陰謀論」をホロコースト否定論者やネオナチ、イスラム主義者などの「反ユダヤ主義」の団体や個人の著作やホームページを源流とし、これらがさらに助長している、と指摘する。日本においても、太田龍や中丸薫などの反ユダヤ主義もしくはトンデモ・ユダヤ論の「論客」が「9・11陰謀論」を積極的に流布している。

 「9・11陰謀論」の支持者には、イスラエルによるパレスチナの支配に心を痛めている人も少なくないようだが、このような反ユダヤ主義こそが、「ユダヤ人国家建設によるユダヤ人の安全の保証」を大義名分とするシオニスト勢力に、ユダヤ人たちを結集させ、さらに結束を強めさせていることを指摘しなくてはならない。反ユダヤ主義は、パレスチナの解放にとって「百害あって一利なし」なのである。

 「ユダヤ陰謀論」から始まった「9・11陰謀論」は、最終的にユダヤ人差別に再び帰着する。そして、「9・11陰謀論」を熱心に宣伝する「良心的」平和運動人士が、いつの間にか無自覚に「ユダヤ資本が…」などというトンデモ用語(言うまでもなく「ユダヤ資本」とは「経営者がユダヤ人」などという意味ではなく「世界を裏から支配するユダヤ・ネットワークの一角としての特定企業」という意味である)を口にするようになっているのである(きくちゆみなど)。ここまでくると、本人の「平和主義」的主観とはまったく裏腹の人種差別思想に染まっていると指摘をせざるを得ない。

 現時点では「視聴率の取れるセンセーショナルな茶の間の話の種」としてマスメディアに取り上げられる「9・11陰謀論」だが、この先平和運動内にこの珍説が一定浸透したところで「平和運動は三千人が殺されたテロをこのような珍説で"米政府の自作自演"と主張するトンデモな連中」「ユダヤ人を差別する"平和運動"」という猛烈なネガティヴ・キャンペーンに摩り替わる危険を指摘しなければならない。

アメリカの「9・11真相解明運動」が、反戦運動を分裂させ陥れるための米政府の意図が働いた「陰謀」であったなら、笑えないブラックジョークではある。その「陰謀論の罠」を避けるためにも、ブッシュ政権の戦争政策の批判は、曖昧な「疑惑」ではなく事実によって行わなければならない。

「帝国」への対決軸の確立

 最後に。9・11テロ発生直後に、大勢として反戦運動は「テロにも戦争にも反対」を掲げ、平和を求める運動が9・11のような民間人大量殺戮とは相容れないことを明確に示した。反戦運動の大勢が、世界的にも稀な「9・11全面支持」を打ち出したウルトラ・スターリニズムの中核派や革マル派、あるいは「9・11を支持も否定もしない」とする主観的な「戦闘的左翼」の無責任な主張と完全に無縁の方針を示した意義は大きいものだった。

しかし、アフガン侵攻、そしてイラク戦争へとつながる経過の中で、9・11すら色あせるアメリカ(そしてイギリス)の劣化ウラン弾やバンカーバスターなどの残虐兵器の使用、度重なる民間人虐殺、人種差別意識に基づくアブグレイブやグアンタナモでの捕虜虐待などの暴虐によって、それに抵抗する側の自爆や民間人誘拐・殺害などによる「テロ」を用いた手段について、反戦平和運動が「テロにも戦争にも…」と、なかなかすっきりと批判しづらくなったという心理作用は否めないだろう。この心理作用が、「9・11陰謀論」が蔓延する一つの土壌となっていることも間違いない。

 しかし、「世界」とは、一元的な「悪」で説明できるものではない。私たちは、何度でも訴えなければならないだろう。アメリカ帝国や権力の「悪」に対抗する勢力ならば「正義」になるわけではない、と。帝国の「悪」と戦うイスラム主義者たちは、一方で女性や同性愛者や子どもの人権を踏みにじってきた「悪」である、と。そして、「悪」に抵抗する手段が、すべて「善」になるわけではない、と。

 この「悪」対「悪」という対決軸に、いかに人権を価値とする「私たちの対決軸」を打ち出していくのか、がこの情勢で問われている。そして、人権と人命の尊重を至上の価値とする運動と世論が世界で、そしてアメリカ国内で多数派になった時こそ、戦争を終わらせ「帝国」を最終的に打ち倒すのである。「テロにも戦争にも反対」の原則を守り、現在の情勢において豊富化させ発展させる必要を痛感する。そして、「9・11のような『反米無差別テロ』が起きる世界の現実」を踏まえることなしに、平和への道はないのである。

     (ふじいえいご)

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