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不破哲三の恐るべき「科学的理論」 - 「自立と尊厳を守ってきた日本女性の遺伝子」? (週刊かけはし 2002年11月4日号)

「赤旗」(10月21日)に、日本共産党の不破哲三議長が新日本婦人の会創立四十周年のつどいで行った「女性が美しく輝く世紀に」と題する講演が掲載されている。あまりのひどさに、ほとんど信じられない思いがした。

 前半は、この間、不破がよく話題にするもので、原始共産主義から階級社会への転換に当たっての母系制社会から家父長制的男系社会への転換、エンゲルスの言う「女性の世界史的な敗北」(『家族、私有財産及び国家の起源』)を、日本の女性は階級社会が始まってもなかなか経験しなかった、というものだ。

不破はここで、卑弥呼、紫式部、北条政子という歴史上、大きな足跡を残した三人を例に上げ、日本の女性は「女性の世界史的敗北」を南北朝内乱以後まで経験しなかったと主張している。ここまでは、たとえば不破の『科学的社会主義を学ぶ』(本誌9月23日、30日、10月7日号に批判論文掲載)のなかでも「日本の歴史の特異性」ということで語られていることであって、きちんと検証する必要があっても議論の範囲内である。

ところが不破はこの主張に続けて、ものすごいことを口走るのだ。「皆さんはDNAという遺伝子の話はご存じでしょう。DNAには、その人の先祖からの歴史が刻まれています。日本の女性のDNAには、『女性の敗北』という世界史の流れに抵抗して、女性の自立性と人間的な尊厳を守ってきた歴史が、脈々と書き込まれていると言っていいでしょう。私は、このDNAの力を大いに発揮するのが、二十一世紀だと思います(大きな拍手)」。

人間の行動は遺伝的に決定されているという「社会生物学」の歴史は古い。それは民族差別や植民地支配を正当化するために使われてきたし、もちろん女性差別を正当化するためにも使われてきた。

 今年亡くなったアメリカの生物学者スティーブン・ジェイ・グールドは言う。「遺伝決定論はつねに、現存する社会生活を生物学的に不可避のものであるとして擁護するために利用されてきた。つまり、『前たちが貧乏なのは、お前たち自身の責任だ』というものから、十九世紀の帝国主義や現代の性差別論にまで及ぶ一連の論議を擁護してきたのである。……けれども、何度も繰り返して言うが、それを決定する証拠は何もないし、過去の世紀に唱えられた粗雑な決定論は決定的に反証されてきたし、そしてそれがつねに俗受けするのは、規制の秩序を維持していくことによって最大の利益を得る人たちが抱いている社会的偏見のなせるわざだということである」(『ダーウィン以来』早川書房)。

この「社会生物学」は、今日では「犯罪遺伝子」「犯罪染色体」などという反動的主張として、極右政治家や札付きの右翼学者に受け継がれている。東京都知事・石原慎太郎が、「日本に入国する中国人の犯罪遺伝子」というファシスト的主張で物議をかもしたのも記憶に新しい。欧米なら、この一言で知事辞職に追い込まれただろう。

「闘って女性の自立性を守る遺伝子」があるなら、「人々を指導し支配する遺伝子」や「指導され支配されるしかない遺伝子」も、あるいは「犯罪遺伝子」さえ存在するということになってしまうだろう。不破は、日本共産党を支持する女性たちにお追従を言おうとして、特定の人間集団を遺伝子によって特権化する反動的「社会生物学」の領域に踏み込んでしまったのである。不破の言う「科学的社会主義」なるものの水準を示す恐るべき発言ではあった。

(10月21日 高島義一)

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