見出し画像

見つける世界

「世界ってのは美しいなぁ」
カメラを構えてファインダー越しに世界を見ると、自然とか良い景色だとか単純に表面的な部分を見て安直に「写真における世界の美しさ」みたいなものをわかった気になってしまうことがよくある。

それが悪いと言いたいわけでは全くなくて、シンプルに超大事な感覚だと思う。ただ僕の捉え方として、写真と世界の関係は「刹那的な美しさの連続とそれを永遠に留めようとする行為」などとカッコつけめに定義している節がある。

「いやーかなりカッコつけすぎてるだろ」「なんだよこいつ」「イキリフォトグラファーめ」「なんか語ってて草」「言葉選びがなんかカッコつけてんだよなー」
まぁまぁ許しておくれよエブリバディのみんな。これはあくまで感覚的な部分が大きい捉え方だからね。とりあえず言語化して文章にしてみたらそんな感じってだけだからね。
いちいち技名言いながら闘うバトルアニメみたいなもんだよね。
ルフィ的なね。
え?全然違うだろって?
たしかに全然違うかもしれない、だがそれもまたいいのさ。
それと途中すごい悪口言われてね?
言い過ぎじゃね?

とまぁ僕的にはこの"刹那的な"に美しさが宿ると考えてそこの軸はブラさないようにしたいなと。
世界のスピードはとても速いからその瞬間は二度と来ないものだったりする。
人と人との関わりとか
夕陽が海面でキラキラしてるとか
木漏れ日がゆっくり揺れるとか
あ、はなびらが風に舞ってる。とか

ではこの「美しさ」とは何だろう。
よく考えることだと
"世界には美しいものが常にたくさん存在している" のではなく "そのタイミングでそこにしかない、そんな美しい瞬間の連続が溢れている" のだと思っている。
同じ景色を目にしたときでも、感度の違いでその刹那に美しさを見いだせる人とそうでない人がいるしね。

僕らはカメラというツールでその一瞬を切り取っていくわけだが、その中でたまに自分が何を撮っているのか、何を撮りたいのかわからなくなることがある。
そして自分の撮る世界と美しさとは何かを頭の中で見出そうとしてみたりする。
その行為に対する一つの考え方として僕が大いに共感したのが、写真家の濱田英明氏の次の考え方だ。
____________________

例えば、「写真を言葉にしてみよう」という思考のレッスンを。
その後反対に「言葉を写真にしてみよう」を。
最後に、「“時間”を言葉にして、その言葉を写真にしてみよう」を実践してみる
さて、あなたに何が起こるでしょうか?

_______________

うわーはんぱねーー
捉え方と言語化はんぱねーー
これ聞いた時とてもスッキリしちゃった。
どんくらいスッキリかというとねー、SPY×FAMILYで意地悪な面接官の顔面にエレガントおじさんが正拳突きしたときくらい。あれ実にエレガントだよねーー。わくわくだよねーー。
あとねーワンピースでルフィが天竜人ブッ飛ばしたときくらい。あれはかなりスッキリしたんだえー。
てかピクミン&オリマーってあれほぼ天竜人だよね?格好もだしピクミンに奴隷の如く闘わせるもんね。あれもう天竜人だね。あとはねー
とまぁそんな感じで思考の段階からのレッスンは刹那の美しさを捉える良いレッスンになりそうだね!
うん、どんな感じ?

ほとんど感覚的にこれを行なっている場合もあれば、考え抜いて行う場合もある。
そして、どんな瞬間にフォーカスを当てるかは人それぞれ違うものだし、写真は撮る人の心の自由に委ねられるべきだから結局撮りたいもの撮ればいいってことにはなっちゃうのかもだけど。笑
何かを表現する、したい、のであれば大事な部分かもな。

狙いに狙った瞬間でも他愛のない適当に撮った瞬間でもどんな瞬間だろうと撮る人の心次第でそれは美しく光る。
そして時間と言葉の関係を落とし込めば「瞬間とタイミングへの感度」と「美しさという存在への捉え方」があなたの中で少し変化するのかもしれない。
なんだか長くなってしまった

ちなみに僕の好きな瞬間は
「そこに人生があるか」
「世界を見つけられるか」

この2つが好物かもしれないです。
あと天ぷらと茶碗蒸しとあんパンと寿司とハンバ

次回『レンジでたまごあたためる!わくわくっ!』
お楽しみに!
おいデンジャラスアーニャおるて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?