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17年やったサッカー人生はあっけなく終わった

17年のサッカー人生はポルトガルで突然終わりを告げた。

医者はツラツラとポルトガル語を日本人の僕に話していたが全く分からない。

ただ聞き取れた言葉が一つだけあった。

「você não pode jogar futebol」

「あなたはサッカーができない」だ。



僕は6歳からサッカーを始めた。

保育園でサッカー教室をやっていて楽しそうだったから始めた。
そんなどこにでもいるサッカー少年だった。

小学生の時はチームの中で一番上手くてトロフィーなんかもたくさんもらってそれなりにチヤホヤされてた。

中学で地元のクラブチームに入ってこんな世界があるのかと絶望したけど、それでも真面目な性格だったから一年くらいでまたチームで一番になれた。

自分で言うのも何だけど、小中と自分で朝早く起きて6時30分から学校で1人で練習だってした。

誰よりもボールは汚れてボロボロだった。

高校でも毎朝始発で朝5時半にチャリ漕いでた。
ZIPすら始まってなかったな。

夜は誰よりも最後までグラウンドに残ってた。
家に帰ったらご飯食べたままよく眠ってた。

そんなこんなで高校では全国大会も出たしキャプテンもやって、県大会決勝ではスーパーゴール決めてベストイレブンにも選ばれた。
負けたけど。

プロサッカー選手になりたいって本気で思ってた。


大学。
東京の割とサッカーの強い大学に入った。

関東のレベルに驚いたのを今でも覚えてる。

「このレベルで高校時代試合出れてないの!?」
ってのがうじゃうじゃ。

僕は完全に出遅れた。

「お前それで試合でれてたのかよ。レベル低っ。」

相当馬鹿にされたし僕の性格上言い返せずにイジリの範疇を超えてることもよくあった。

チームメイトとも馴染めず友達も少なかった。

正直大学にいい思い出は一つもない。

試合だって出れたのは最後のお情けで出してもらった1試合。

そう。
僕はダメダメなヘタレ。

辞めたくても辞める勇気もない。

病気にでもなって辞めれたらいいのにって思ってた。

「あはは、病気だから仕方ないや!」って辞めれるから。


でもなんか分からないけどこんな自信はあった。

「この環境が悪いだけで誰も知らない海外に行けば絶対サッカーで通用する」

何でだろう。

今でも分からない。

もちろんみんなにバカにされたし誰も心から成功すると思ってた人はいないと思う。


海外挑戦。

僕の根拠なき自信は見事に的中しプロ契約を勝ち取った。

かなりはしょったけど本当は相当辛かった。

大学卒業する前に海外に飛び立ったけど、テストに受からず結局帰国。

帰国すると周りの友達はみんなもう社会人の4月。

一方僕はニート。

とりあえず近くのピザ屋でデリバリーのバイトをした。

ほとんどが年下の高校生や大学生。

「いくつですか?」と聞かれて23歳って言うと、みんな一度顔を固めて「そうなんですね〜!!」と返すだけ。

理由を聞くこともなく。


ここまできたからには諦める事もできず、バイトしながらサッカーチームに入り夏の再挑戦を目指した。

僕は英語すら通じないポルトガルに1人で行った。

待っていたのは地獄だった。

言葉が通じないのはまあ仕方ない。

ただサッカーでは早々にチームに溶け込んで契約できそうだったのに、国籍の問題で登録ができないらしい。

僕は3ヶ月ほど生活費を払ってポルトガルに練習だけしに来ていた。

「何してんだ自分は…」

毎日泣きながらそれでも3ヶ月耐えた。


そして年を越し1月。

やっと登録の許可が降り、晴れてプロサッカー選手として契約。

僕は大好きなサッカーをお金をもらってプレーした。

最高だった。

チームも勢いに乗り優勝まであと1勝。

そんな時だった。

試合が終わった帰りのバス。

胸が痛い。呼吸が苦しい。

チームメイトのグスタボに「助けて、、」と言ったとこまでは覚えている。

僕は病院にいた。


でもすっかり体調も良くなっていてすぐに帰れるだろうと思って医者を呼んだ。

「今日は泊まって」

と言われた。

何だよ帰れないのかよって思ったけど夜も遅かったしまあいいかと思って寝た。

ただ隣がうるさくて一睡もできずにチームメイトのグスタボに音声動画を送って朝を迎えた。


朝。
僕はエコー検査をした。

念の為だろう。
綺麗な金髪ロングナースが優しく検査をしてくれた。

そしておっちゃんの医師に呼ばれた。

なんか訳のわからないポルトガル語を喋っている。

ただ聞き取れた言葉が一つだけあった。

「você não pode jogar futebol」

「あなたはサッカーができない」だ。


いやいや。

何言ってんの?

「o que?  何?」

僕は聞き返した。

僕はポルトガル語が分からないからうまく聞き取れなかっただけだ。


「não posso jogar futebol? 僕はサッカーができない?」

と聞くと、「sim.   そうだ。」と言う。


いつの間にか僕はポルトガル人と会話ができるようになっていた。

ちゃんと聞き取れていたんだ。一発で。

皮肉にも一番聞き取りたくなかった言葉を。


でも僕はこんなことを思っていた。

「あ、病気で辞めれる」

まあプロにもなれたしなんか漫画みたいでかっこいい辞め方やんって。


ちょうどその時。
僕のお父さん的存在でもあるチームの監督と奥さんが来た。

一通り2人と医者が話し終わったのだろう。

2人は僕になんて声をかけたらいいか戸惑っているように見えた。


その様子を見て実感が湧いたのか僕は泣いた。

監督と奥さんに抱かれながら人生で一番泣いた。

僕の17年のサッカー人生は突然あっけなく終わったのだ。


何で僕なんだ。

耐えて耐えてようやく夢を掴んだのに。

あと1試合勝てば優勝なのに。


そのまま僕は監督の家に行きラザニアを振る舞ってもらった。

その時のラザニアは優しい味がした。


そして優勝決定戦。

僕はスタンドで応援した。

拮抗した試合の中ついに僕のチームが得点。

すると決めたチームメイトのドゥッキが僕の背番号のユニフォームを持ってスタンドの僕に掲げてくれた。

大泣きした。

僕は人生で一番をすぐに塗り替えた。


そしてそのまま優勝。

みんなで優勝を喜んだ。


病気は僕のサッカー人生を最高の形で終わらせてくれたのかもしれない。



今僕は普通に社会人として営業をしている。

普通に毎月給料がもらえるって素晴らしいし、普通に日本語が通じるって素晴らしい。

でも何か満たされない。

何かは分からない。
別に不幸なんかじゃない。

それでも時々思う。

僕はこの先あの時の「人生で一番」を塗り替えることが出来るんだろうか。



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