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英語学習の目標設定って難しくないか

英語学習を行うそもそもの目標の設定って難しくないですか。

そう考える理由として、英語がただの言語であること、その割に勉強量が膨大であることがあると思います。

僕が理論的な人間であることも影響しているのだろうと思うのですが、僕は数学やコンピュータサイエンスのような論理で暮らしていく世界が好きなんですよね。

ただ、英語はほぼ論理はなく、むしろヒューリスティック(経験的)なものです。

そうなると目標設定も難しいのです。論理的な世界ですと、興味のある命題に対して知らない論理法則や値を学ぶことで理解していくことで深めていけるため、最終的には興味ある命題を解き明かそうと努力することができます。しかし、言語となると難しい命題はなく、むしろ何が目標なのか分からなくなってきます。分からない分があってもDeepLすればいけるし?むしろスポーツみたいに何か能力をつけたい!(瞬時に聞き取れ、意味をとれるようになりたい!)に近いと思えてきます。

勉強方法もどうでしょうか。論理的な世界では、その世界の値とその演算(遊び方)さえあれば楽しく過ごせます。ここで大きいのが、その二つを理解が深めればその世界どこでも楽しく過ごせるんですよね(別の場所で学んだコンピュータの知識は、同じコンピュータ関連の話なら同じ知識が流用できます)。なんて幸せな世界でしょうか。

ただ、言語はどうでしょうか。文法という抽象的すぎる形式はあるものの、何か表現したいときは、ある形式の文になる。それが数えきれないほどあり、学ぶのも経験則です。何か学んでおけばいい演算はなく、その場で言いたいことに近い形式を無数に覚えるのです。むしろその形式が無数ではないがために人の思考が制限されてるのではないかと疑いたくなるぐらいです。

ただの愚痴のようになってしまいましたが、英語の目標設定は難しいです。いや、僕たちは英語の勉強を論理的な世界と同じと考えてしまっていることが間違いなのではないでしょうか。

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