人は建前と本音を混ぜがち

人は多くの場面で建前で会話をする。というか、人は建前がないと会話できないのではないだろうか。


人と仲良くしたい

人は人と仲良くするために、コミュニケーションの機会、それこそ、授業、旅行、買い物、ゲームなど色々な動作を行おうとする。

これを建前本音で分解すると、人と仲良くしたいが本音、授業などは建前になる。

先日、知り合いと旅行と行ってきたが、これを例にするならば、本音は知り合いともっと仲良くなりたい、建前は旅行で聖地巡礼したいという具合だ。

ここで注目できることとして、人は建前がないと喋れないことが見つけられる。例えば、仲良くしたいと集まった集団と、旅行に行くと集まった集団では、どちらが会話しやすいだろうか。おそらく旅行のほうであろう、旅行には日程やら予定やらで会話することが多くあり、旅行中も目の前の景色の感想を述べるだけで会話になる。しかし、ただ集まっただけでは「何を話したらいいんだろう」状態になってしまう。


結婚は建前なのか

人と仲良くしたいならば、ずっと一緒にいればいいものを、人は異性であること、付き合う、結婚など形式などを気にする。

別に異性でなくたって、結婚でなくたっていいわけだ。海外では子供もいるが結婚をしていないと話に聞いたことがあるが、それは近い実態例かもしれない。

そう言う面では結婚は建前ではないだろうか。


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