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平等権、自由権の生まれる契機とは!

 (以前、このnote で平等と自由について書いたことがある。そのときは、それらの言葉の運用面を語ったものになっていた。今回は、平等とか自由の権利が主張されるようになったワケを探ってみようという試みである。もちろん、これまで先達が展開してきた人権論を土台にしているが、より分かりやすい記述でこれらの権利が正当性を持つに至ったかを解説している。)

 われわれがいつも普通に使っている平等とか自由という言葉が、あまりにも身近で使われているために違和感がないように感じているかもしれない。けれども、平等とか自由という言葉は時間を遡るほど、特殊な言葉だったことに気づく。

 社会に存在するさまざまな人間に違いがないことに気づいたのは、いつ頃だろうか。それ以前、人間は上位から下位まで、明確に区分されていた。とくにヨーロッパでは中世1000年以上にわたって、人の上に人をつくる社会を固定化させてきたから、上の人と下の人では同一な人間とはみなされていなかった。お互いに、種が違う生き物としか感じられなかったので、無関心でいられた。極端な言い方をすると、類人猿チンパンジーとゴリラのような属間の違いがあったら、関心を持ちようがなく、別の世界で生きられたのだ。

 人間たちの例は映画「マイ・フェア・レディ」であろう。二人の紳士が賭けをする。貧民街に住む娘を貴婦人にすることができるかという賭けである。もちろん、礼儀作法などは訓練によってある程度矯正できると思われたが、一番の難点は上流階級が使う英語と下層階級が使うコックニーと呼ばれる英語の発音やアクセントがまるで違うために、発音を矯正して、上流階級の言葉を完璧に話すことができるかが障害になったのである。19世紀当時のイギリスでは生まれたときから上流階級と下流階級とでは何もかも違っていたから、人間の種類が違うくらいの格差をお互いに感じていただろう。

 このように大きな階級格差社会に、平等や自由の考え方が生まれる素地はなかったのである。このような素地がないヨーロッパ世界から、人間の平等や自由の概念を紡ぎだし、基本的権利として保証する社会を生み出すことができたのはどうしてだろう。その問いに対する答えを見いだそうとしたのがこの論である。

 はじまりは宗教改革だった。この改革で有名な人物はマルチン・ルターとジャン・カルヴァンだろう。カトリック教が堕落して、制度疲労した中で登場したマルチン・ルターは、ローマ教会を批判して、キリスト教の原点に戻ろうと提唱した。この原点に戻るテキストとなったのが聖書であった。ただこの当時、手に入る聖書はラテン語であったので、一般の市民には読めなかった。後年、ルターは宗教改革を推し進めるために、ラテン語聖書のドイツ語訳をおこなっている。ちょうどその頃、発明された活版印刷術によって大量出版されたので、改革がひろがる結果をもたらした。

 われわれは聖書(バイブル)となにげなく言っているが、もとは本の意味しかなかった。本といえばバイブルとなり、本末転倒してしまったのだ。聖書と呼ばれるものは、二種類あって、『旧約聖書』と『新約聖書』である。英語ではオールドとニューを使い分けてテスタメントTestamentというが、聖なる書物という意味ではない。テスタメントは約束とか契約とかの意味をもつので、この場合神と神と認める人の間の契約書ということになるのである。『旧約聖書』のモーセの十戒では、信者にヤハウェを唯一の神とする約束をさせられている。すなわち聖書は信者が神との約束を守ることにより「神の国」に行くためのガイドブックになっている。

 どうすれば「神の国」にいけるのだろうと聖書を徹底的に読み込んだのが、フランス人ジャン・カルヴァンである。その結果、たどり着いて主張したのが「予定説」である。聖書を読んでいくと、「神はすべてを予定している」という教義が頻繁に表れるが、これがこの説の核になっている。

 人間が救済されるかされないかは善行によって決まるのではなく、もうあらかじめ決まっていて、人間のおこないによって左右されるものではないから、救われるかどうかはもう既に決まっているというのだ。それではどんな人が救われるのかについては、神が人間に分かりやすい基準で決めているとはおもえない。なぜなら、神は人知を超越した存在であるから、人間には想像もつかない基準で判断をすると考えるほうが妥当だ。だから、どんな人間が救われるかは誰にもわからない。とんでもない悪党が救われたり、善人が救われなくとも不思議はないというのである。

 キリスト教の神は聖書の中ではどんな存在なのだろうか。この神はあらゆるものを創造することができたが、とくに注目すべきは「光」をはじめとする物理現象をもつくることができたことである。集大成として宇宙を作り、宇宙の法則まで整えるとができる存在だったから、不可能なことはないのである。ゆえに神は「全知全能にして絶対」であるから、やろうと思ったことは何でもやれるし、神の意志を妨げるものはいないことになる。そんな絶対的存在の神が個々の人間の願いを叶えてやろうなどと、救われないものを救われるようにしようなどと行動をするだろうか。「絶対神」として君臨する神は、太陽が東からのぼり、西に沈むシステムも創造して、ゆるぎなく運行させているのだ(ローマ教会が地動説を異端視したのは、神が天動のシステムを創造した考えたから)。人間に対しても、どんな善行を積もうが、人間を生み出したときの神の決定が決してゆらぐことはないのは物理現象の創造と同じに不変だからだということになる。

 カルヴァンは、神が絶対的存在として、ある者がどのような人生を送るかということをあらかじめ決めているから、救われるか救われないかを生まれる以前に決めていると論ずるのである。神がすべてのことを決めている一例がある。たとえば、エレミアという少年のところに、神が突然現れて「お前は預言者である」と語った。その前提として、神は少年の母が受胎する前に、エレミヤを預言者にするべく聖別しておいたといい、母の胎内におまえを造ったのも私だと断じている。神は絶対存在として、エレミヤが生まれるようにプログラムを組み、適宜な年齢に達したならば神の命令を伝える預言者にしようと予定したことになる。

 預言者に仕立てられたエレミヤは神の言葉を伝えるべく、イェルサレムに行き、厳しい条件下で、神の警告を言って回らなければならなかった。この役目はエレミヤが生まれる前から決まっていたことであり、好むと好まざるにかかわらず神の定めた通り生きることを余儀なくされていたのだ。

 ここにエレミヤの意思は働かず、神が定めた予定通りの人生を歩むほかなかった。すべての人間は神が造ったものだから、神に定められた予定にそってそれぞれ生き死ぬことを運命づけられると結論づけられることになる。

 キリスト教で「救われる」とはどういう状態をさすのだろうか。人間は必ず「死ぬ」というという原罪を負っている。生を受けたキリスト教者は心臓が止まり、肉体が朽ち果てても、それは「仮の死」であり、すぐに天国とか地獄に行くわけではない。それなら「仮の死」はどんな状態かといえば、魂が死んだような死んでない状態になるらしいのだ。「本当の死」は世界の終わりがやってきたとき、神があらわれて、最後の審判が行われるが、そのとき「仮の死」の人々は、再び肉体が与えられ生前の姿に戻ると(復活のためには死者を火葬してはならない)、審判で救われることが告げられた人は「神の国」に入り、永遠の命を与えられる。救われない人は「本当の死」が与えられ、復活の見込みがゼロになってしまう。

 ローマのバチカン市国にあるシスティーナ礼拝堂の天井画「最後の審判」はその様子をミケランジェロがフレスコ画で描いたことを思い出した。ただローマの場合は、容易に原罪を償い救われる図になっていると思われるが、予定説ではそう簡単に救われそうもない。プロテスタントのキリスト教徒は生まれる前から「救われる人」は決定しているからだ。問題は自分が救われる存在であるかどうかわからないので、信者は最後の審判までは同じ立場(平等)で審判を迎えることになる。

 「予定説」が提唱される以前のヨーロッパ社会に「人権」という概念がなかった。あったのは特権である。王権、領主権、ギルド、階級特権などの特権が山ほどあり、社会の流動性を阻害していたが予定説の出現により「人権」に変わっていく。

 「予定説」の基本的考え方は、その説を信じるプロテスタントは神の存在を認めると共に、神は限界なしの万能の力で世界を構築・支配していると信じることからはじまる。そのような絶対的力を持つ神の存在は、人間社会のレベルでは比較できないほどの高みに存在するから、人間社会の階級とか貧富の差などは、山の頂から下界を見下ろしたとき、地上の凹凸が気にならないほど平坦に見えると同じように、人間社会の階級の差が無視されて平等にみえていく。ここからどんな人間も、神様の高みに比べれば、ほとんど違いがない、すなわち人間は平等と考えられるようになっていくきっかけを提示したのだった。


 ヨーロッパでは、王や領主は途方もなく尊い人であり、普通の人にとっては「人間の種類が違う存在」に見えていた。予定説で説くところの、神の立場からみると、どんな身分のものでも、原罪をもつ人間にすぎない。「人権」とは万人にあたえられるものであるから、同じ人間同士は、階級が違っても、絶対的な神の下にあっては、みな平等であり、人間の持っている権利(王であっても、商人であっても、どんな人でも「救われる」可能性は分からないのが前提なら平等も同然)も同じとなり、平等という人権が生まれたのである。言い換えれば、人間であれば無条件で同じものが与えられるのが人権だとすれば、全員に自然権という権利が最初にあり、その中に平等権や自由権などの諸権利が醸成されたということになる。しかも同じ権利を持つことは民主主義の構成要素になる。

 予定説はまた社会に対する見方を変化させた。当時の社会は変化をタブー視することで成り立っていた。社会の構造や慣習法は人間の都合で変えてはならない不文律だった。このような社会は、神の超絶対性を信じるプロテスタントにとって、伝統として無批判に継続すればよいのではなく、それらが神の御心にそったものであるかどうかが是非の判断基準になっていた。神の御心に反するものならば、社会の仕組みをこわして、作り変えることも正義になっていく。このことから神の御心に叶うならば、社会を変えることも是認されることになり、革命revolutionが正当化されていったのである。

 神の御心にそって信仰に入る自由は、誰にでも平等にあったからカルヴァン派プロテスタントに入り、信仰を深めると、人々の目に映ったのは、特権だらけの社会の不平等性であり、王侯貴族が生まれながらに尊いという根拠がどこにもないことに気づいたのである。当時あった社会が神の御心にそったものとは思われず、その秩序を破壊し、新しい社会秩序を生み出すことこそ神の真意であると信じていった。とくにカトリック権力者による宗教抑圧政策は、宗教的自由を求めたプロテスタントの人々にとって耐えられないものになっていった。この自由を求めて、植民地に聖書の教えを実践する共和国を創る試みも行われたが、最終的には、本国イギリスでの革命の手段をとった。王が絶対権力を行使して恣意的に政治を行うことに反対すると共に、宗教的自由を求めて、新しい社会を生み出そうという運動を展開したのである。

 予定説はこのように、人間平等の思想的バックボーンを構造的にとらえられる教えをもち、自由、とくに権力からの自由という思想を宗教面から自覚させたのである。いったん認識された自由は、人間にとって重要なものと認識され、いろんな分野での権力からの自由が主張されるようになっていく。聖書の教えに叶う共同社会を生み出すために、社会の構造を破壊して新しい構造をつくることを革命という語で表現したのである。予定説は革命を起こすダイナミズムを内包していたから、予定説を突き詰めていくと革命に至るのである。カルヴァンは予定説が国家を変革するイデオロギーになるとは考えていなかったかもしれないが、彼の予想を超えた影響を後世の社会にもたらしたのである。

 レボリューションがはじめて用語として使われた革命は、名誉革命である。この革命はカトリックの王ジェームズ2世を亡命に追い込み、プロテスタントのウイリアム3世メアリ2世を共同統治の王にした出来事である。名誉という言葉が使われた理由は、この革命では血を一滴も流さずに国王の交代が行われたためであることは、知らない人は少ないのではないだろうか。この一連の動きで重要なことは、各地方の代表の集まりである議会が、国の施政者を決める役割を担ったことである。イギリス議会は王の即位承認を二度行っている。二度目はアン女王が後継者を残さずに亡くなったときも、次代の王を招聘しているからである。議会が新しい王に相応しい人物を選定し、ハノーファーから迎えたのである。議会が承認しなければ、ジョージ1世は王になれなかったはずだ。

 これが前例になり、王でない首相や大統領(直接選挙で選ばれなかった独立期アメリカの例がある)も議会の承認を受けて、施政者になることが通例になっていくのである。ただし、イギリスでは、議会による首相の任命は最初から制度化されたものではなく、王が政治に無関心になったので、内閣を構成する大臣のうち、議会で多数派を構成している党派の実力者が事実上首相の職務を果たすことになっていった結果だ。行政を統括する内閣が行う政治には議会の承認が必要なので、議会内多数派の統率力ある大臣であれば、議会で議案を否決されることはないからである。この時代、この段階では議会の構成員は地方の代表である貴族や土地所有者であって民主的とはいい難かったが、20世紀に入り普通選挙制が導入されると、はじめて議会制民主主義が機能はじめることになる。

 また、この革命の結果生まれたのが「権利章典」である。議会が議決した「権利宣言」を王夫妻が承認し、公布した権利章典は、議会が新王として夫妻を承認しただけでなく、王権よりも議会の優越が事実上決定された法律であり、立憲君主制として結実していくものになっている。人権も、人身の自由などの権利が認められているが、万人に対する宗教の自由などは認められず、プロテスタントのみの信教の自由にとどまっている。

 この段階では人権としての平等権は一般的でなかったが、ピューリタン革命を経験した一人であるジョン・ロックはこれまでの階級間の格差が矮小化されたとして、人間は生まれながら平等であるとするところから社会契約論を論じて、この権利を一般に啓蒙する結果になった。クロムウェルをはじめとするイングランド臣民が、下剋上を実践してチャールズ1世を処刑した結果、上の階級と下の階級の相違が曖昧になったからだ。また、ロックはこのことから、主権者の悪政に対しては社会契約を結んでいても、契約を取り消して、変革を求めることができる革命権を主張している。

 歴史的には、平等権はヨーロッパ世界で始まった宗教改革に端を発したものである。聖書の中の神を万能かつ絶対的な存在と信仰したとき、人間の階級格差が無視できるほどの差であると認識できると同時に、救われるか否かは階級に関係なく選ばれるとする予定説から、これまでの固定観念を打ち破り、平等が意識された結果、権利として主張するようになっていったとおもわれる。自由の権利もまた、国家の宗教的迫害や抑圧から解放されて、信教への自由の門が開かれいった。宗教の自由以外にも、各階級から生まれる特権を打ち破り、特権によって締め出されていた領域で自由に活動できる権利も要求されるようになっていった。

 ヨーロッパにおける平等と自由の権利は王族、貴族、大土地所有者などの特権所有者が有利に特権を享受していたことに反対する中流階級が、上位階級と同等の権利を求めるための武器として使われたといえる。この段階では、下層階級にとって、平等権とか自由権は絵に描いた餅であったが、フランス革命以降は下層階級の人々も革命に参加して、大衆の力を誇示できたので、平等権、自由権から得られる果実を要求するようになっていく。マイフェアレディを社会階級格差の例として取り上げたが、イギリスの場合、理念上人間は平等・自由であるにもかかわらず、社会の大転換が行われる革命を経ずして徐々に改革がおこなわれたので、階級制度に手が付けられず、さまざまな面で残渣が残った結果になっている。

 この論では、平等権や自由権の獲得から発展したものとして民主主義の誕生を記述し、その主義と双子の関係にある資本主義まで書く予定であったが、あまり長い文は読まれないので次の機会に完結させたいと願っている。

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