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目前の恐怖は想像する恐怖より怖くない

Present fears are less than horrible imaginings.  Macbeth

 最近、なにかと話題になる空飛ぶ機器はドローンだ。未来の乗り物としてイラストによく描かれる空飛ぶ車が実用化されるとき、原型になると思われるのはおそらくドローンだろう。ドローンdroneとは、蜂などのだす羽音を意味しているから、元々はホバリングという空中に停止浮遊できる生き物が出す羽の音から名づけられたに違いない。宙に浮くとき、必ず大きな音を出すが、それは蜂が飛ぶときの音に似ているからだろう。だがドローンは正式名称ではない。UAV unmanned aerial vehicleアンマンド・エアリアル・ヴィークル=無人航空機が正しい。

 ドローンはたいてい3つ以上のローターを持つが、最初に実用化したのはローターを1つしか持たないヘリコプターである。ヘリコプターはギリシア語の単語を合成してつくられた言葉である。ギリシア語やラテン語は、漢字のように言葉を組み合わせて新しい言葉を創るのに便利なので、よく使われている。たとえば、電話は「電気(信号)で話ができる機器」という意味であろうが、欧米語のテレフォンtelephoneはteleとphoneというギリシア語の合成語である。意味は「遠くの音」を聞くことができる機器ということになる。例に挙げた二つのギリシア語は今ではそれぞれ多方面で使われているし、われわれもカタカナにしたものを普通に使っている。ただ、カタカナだと意味をなさないので、類似性や語源はたどりにくくなっている。

 ヘリコプターは helix と pteron の合成語である。helix が helico- となり、pteron と合体して helicopter という名称ができている。「回転する翼」の意味だ。プテロンの単語を使った言葉にはプテラノドンがある。これは恐竜の一種である「翼竜pteranodon」の名称である。ただし、日本語では表していない意味を含んでいる。pteronは「翼」を意味しているのはお分かりだとおもうが、それに否定辞anとodousという「歯」が連結して、プテラノドンは「無歯翼竜」の意味になる。翼竜は歯をもたない恐竜なのだ。ちなみに、恐竜もギリシア語からできている。ご存じのように恐竜はdeinos(恐ろしい)プラス sauros(トカゲ)から作られた造語である。どうしてトカゲかといえば、恐竜にはウロコがあったと想定されたからである。ウロコつながりで、日本ではサウロスに相当するのが「竜」であろうとなり、恐竜がいた時代の古生物は「竜」がつくことになったのだろう。その勘違いが恐竜を爬虫類に分類することになった原因だったのだ。現代では、恐竜から進化したのものが「鳥」であるという説が有力である。

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 人間も鳥のように空を飛びたいという願望を一度も思わない人は少ないのではないだろうか。空を飛ぶ機械を最初に絵に残したことで有名な人物がレオナルドダヴィンチである。かれはヘリコプターの原形のようなデッサンを残している。渦巻型のローターを回して飛ぶ装置だが、絵を見る限り動力は人力を使うらしく見えるので、機体の重さと人間2人の重さを勘案する限り、とても飛びそうにない。ダビンチのヘリコプターが注目されるはその形状が推進力さえあれば浮上する可能性があるからだ。16世紀の世界では空を飛ぶための機械を発想する人が彼以外いなかったのである。

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 現代においても、生身の人間が空を飛ぶという発想は思いつかなかったようだ。飛行機が開発されて、高度で故障したとき、命を守るためにパラシュートが使われるようになった。パラシュート自体はルネサンス期に考えられたものであったが、当時は空高く飛ぶものがなかったので、高い塔から降りるという実験的なものだった。みんなが知っているパラソルparasol日傘は太陽solの光に抵抗するとか、防ぐという意味で名付けられたが、パラシュートもパラpara「抵抗する、防ぐ、守る」とシュートshute「落ちる」が組み合わされてできた語で、急速な「降下を緩和する装置」なのである。



 このようにパラシュートは上空から単にゆっくり降りてくる一式器具apparatusを指していた。ただしパラシュートは風の影響をもろに受けるために、目標地点に着地することがなかなかできなかった。風の赴くままに流されて、思ってもみない地点に着地することになる。落下傘部隊が中隊規模で降下しても、戦闘部隊として一体として活動するにはかなりの時間が要しただろうし、そんなつもりないとしても敵の真っ只中に着地することもありえたから、集中砲火を受ける可能性もあった。平和時に降りても、海や川、湖に落ちることもあったし、高い木のテッペンに布翼の部分がひっかかり地上まで無傷では降りられない事態も起こった。 

 パラシュートは操縦性というか、コントロール性というか、装着者が方向を決めたり、命に危険を及ぼすところに着地しないようにコントロールすることが難しかったのである。そのぶん、使い勝手が悪かったことになる。何とか、パラシュートをコントロールすることができないかという考えからできたのが、向かい風を受ける風の取り入れ口をパラシュート前面ににつくり、そこから入る風を利用して、方向をコントロールしようするやりかたである。ただし、大きく風の取り入れ口を設けても、意味がない。左右の方向を決めるには、左右で風の量に変化をもたせないと曲がってくれないからである。それに、向かい風を効率的にパラシュートに送り込み、飛揚力をつけるには向かい風に対して小さい取り入れ口をたくさんつくり、効率的に風をパラシュートの傘の部分に送り込む必要がある。操縦性をもつパラシュートができたのはエア・インテイクair intakeという風取り入れ口になる小さなセルを設けたからである。それだけでなく左右対称の半円形ではなく、翼のようなパラシュートのほうが右や左にコントロールしやすいし、先端になるほど表面積が小さくすると操縦性が高まることになる。

 このような仕様で空を飛ぶものがパラグライダーである。パラグライダーはパラシュート・グライダーの略だとおもうが、正確かどうか確認できなかった。グライダーは「滑空機」と訳されるから、ゆっくり落ちるパラシュートを滑空させる機器がパラグライダーということになる。

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 最初のパラグライダー体験は昨年の一月だった。この経緯は「空も飛べるはず」という文をこのNOTEに寄稿している。その時は二人乗りのタンデムと呼ばれるもので飛んだ。この場合はプロライダーがパラグライダーを操ったので、技術はほとんどいらなかった。ただただ勇気がいった。標高300メートルの飛び出し台から、乗り出すわけだが、眼下に広がる田畑や動いている自動車はジオラマを見ているようで、現実味が薄い。ところが、飛び出し台の先端部から下界を見ると、すくむような高さを感じ、落ちたら高木の森林が手ぐすね引いて待っている。恐怖感を覚える高さなのである。

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 飛揚力がつかずに、パラグライダーの翼が萎んだら真っ逆さまに眼下の森林に落ちてしまうだろうという想像力が先に立ち、膝ががくがくしてくる。乗せてもらうお客様感覚で気楽なはずなのに、風をもろに受けていると、身を守るものがない気持ちになってくる。もちろん、ヘルメットをかぶり、プロテクターのような装具を付けさせられるから、無防備ではないとはいえ、本来人間が持ちえない能力を、人工的に飛ぶ装置を身につけて飛ぶわけだから、感覚的にすんなり受け入れられないのである。もちろん、ベテランはそんな感覚を感じることもなく、鳥のように、風を読み、飛び出して風に乗って上昇したり、下降したり、周回したり自在に飛び回ることができるだろう。

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 先日、熊本から島原までフェリーに乗ったが、そのとき乗客からカモメに差し出されたスナック菓子をめがけて、高速フェリー船の速度に合わせて、懸命に飛んできて餌をとる様子を見ていたが、翼を上手に動かして、風に押し返されずに、餌をとる様子は真剣さゆえに見ていると感動を覚えた。おそらく、パラグライダーのライダーも空の上ではカモメのように、真剣に風を読み、目的の飛行を行うさまは感動を覚えるだろう。空の上では、地上からはライダーの表情までは見えないので、真剣さは伝わらないが。

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 そんなこんなを感じながらも、プロの方の導きで、空を飛ぶことができたのが初飛行だった。通常パラグライダーは両手を使って操縦するので、動画を取ることができないが、タンデムの乗客は両手が空くので、動画は撮り放題である。撮影用ロッドを使えば、飛んでいる本人の様子も撮影できる。一人で乗る場合はヘルメットにカメラでも取り付けない限り撮れないことになる。自分の勇姿や飛んだ地点の景色を記録したい向きにはタンデムの飛行をお勧めしたい。前述したように、ほんの少しの勇気で鳥になった気分を味わい、その様子を記録できるのでお得である。しかも乗せてもらうだけなので、技術はいらないのが利点だ。
 
 タンデムで初飛行したあと、事務所によって、帰りの手続きを終えたとき優待券をもらった。ここが併設しているパラグライダースクールで、単独飛行できる初級のA級コースの入校料11,000円が免除されるという優待券だった。初めて飛んで見た鳥瞰風景に魅了されていたので、近いうちに必ず参戦すると誓った。

 ところが実際電話かけて入校予約したのが約一年後だった。「パラグライダー、日々に疎し」というわけで、鳥の気持ちをすこしづつ忘れていった。一年近くたって、優待券の有効期限が間近に迫ってきたとき、急に惜しくなってきた。そこで学校に電話をして、A級を取るにはどれくらい費用が掛かるかを聞いたところ、リーズナブルだったので予約した。一日午前午後6時間くらいの講習4回で総額2万円くらいだった。受講料が安いのは、次のB級へ進んでくれることを期待しての料金だ。B級は長時間乗らないと取れないから、レンタルより自前の用具を買った方が得ですよと勧められ、買わされるから学校のほうでは商売になるのである。

 前回も冬だったので、当然寒い 時期で条件がいいとは言い難かった。だが冬の太陽が輝いてるときは、空も透明度が高く遠くの山々までくっきり見えるから気持ちよい。反面上空は、風を切って飛ぶために寒さがきつい。
 
 タンデムのときは、当然練習もなしにフライトできたが、単独飛行となると練習しないと飛べないのは当たりまえだ。最初はスキー場のようなスロープから笹の葉型のパラシュートで滑空する練習を繰り返しておこなう。この練習は、パラシュートをふくらませる風が吹かない限りできないので、絶えず吹き流しを見て、適風の向かい風が吹いたときにしかできないので効率が悪かった。追い風や横風、渦巻き状の風、無風など地上付近の風は気まぐれで、なかなか風をとらえることできなかった。風をとらえて、インストラクターの誘導で走りながら、基本的な操作を声掛けされながら練習するがうまくやることができない。着地ポイントまで降りると、ツバサをまとめて、ゲレンデのような斜面を用具を持って登る必要があるので、疲れてしまい、何回も連続的に練習できない。楽に傾斜を登る設備もないので、山スキーのように用具を担いで登るしかないのだ。

 地上での基本操作はキャノピーと呼ばれるツバサを、走り下る方向の横に広げて、ツバサの各先端につながる導線ライザーA、B、Cが絡んでいないかを確認してから、プロテクターとして身体に装着していたハーネスをカラナビでライザーをまとめた帯状の綱でつなぐ。つないだライザー線を両腕で支えながら手で掴み、ブレーク・コード・コントロール・グリップという操縦桿とスピードを制御する持ち手と共に握り、適風が吹いたら、そのままの姿勢で走りこむ。最初はインストラクターが左右のカラナビを持って、練習者のキャノピーが風により膨らむのをみて、ライザーの帯綱を離すように指示を与えて、離脱する。そこから単独滑空が始まるが、すぐにブレーク・コードを引いて、お尻の背後まで腕を使って持っていって行くと、風が入らなくなり、キャノピーはしぼむので、飛び出しの練習は終わる。これを繰り返すのである。

 インストラクターがつかない場合は、走りながらキャノピーが風をはらんだのを振り向いて目視してから、ライザーを離し、ブレーク・コントロールのみで滑空する。着地するときはブレーク・コントロールを正面から背後に思いっきりひけば、ブレーキになり飛揚力を失うのでスマートに降ることができる。ひくのが甘いとスピードが落ちないので、うつ伏せで降りたり、思い切り膝を打つような荒れたランディングになってしまう。

 パラグライダーで肝心なのは、風を摑まえて、キャノピーに風を送り、離陸してもライダーが失速しない浮揚力があれば、ある程度は飛べるのである。その点をおろそかにすると、事故につながる。発想を変えると、それさえ会得すれば、短時間で、山の頂からでも飛行できるので、飛行機を操縦するのに必要な多くの訓練や知識がいらないことになる。地上で普通に生活する場合は、風を意識することはあまりないだろう。台風が来たときの風速は気にするだろうが、風の向きは自然を相手にする職業以外は寒いとか、強いとか感じるだけだ。

 海や空を職業の場とする人は、毎日の天気や風の強さや向きを絶えず確認しながら行動しなければならない。命にかかわったり、経済的損失をこうむることに直結するからである。パラグライダーのライダーもまた風を読む必要がある。離陸するときも、上空でも風を読み違えると、命にかかわる。初級A級では離陸が最大のリスク要因だから、そこを繰り返し練習する。初心者が離陸したあとは、地上からインストラクターが操縦を指導するし、変な風が吹きそうな天気なら飛ばさないからだ。

 二日間の地上訓練を繰り返した後、三日目にペーパー試験を受けた。パラグライダー教本のA級の範囲からの出題で、70点以上が合格と言われたが、不合格になる人はほとんどいないから大丈夫と励まされた。結果は96点で、方位を12方位としたが、16方位が正しかったわけで間違えたのだ。図を描いて、方位を入れていけば直ぐ分かったはずなのに、怠ってしまった結果のミスだった。二日目に少しやった空中に出てからの操作方法も、アナログのシュミレターで訓練した。ようするに天井から吊り下げられたライザーの束をライダーのハーネスにつなぎ、両手にブレークコードを握って、右にいったり、左にいったりするやりかたを習った。左に方向を変えるには、最初に左に体の重心を移してから、左のブレークコードを下にひくと、ゆっくりターンするし、逆の操作をすれば右にターンする。

 むかし、乗馬を習ったことがあったが、この時も最初は苦労した。特に初心者は手綱と乗馬靴を使って馬をコントロールしようとするが、馬とライダーの間の約束の合図が馬の個性によって違ってくる。強く合図しないと反応しない馬もいれば、敏感でちょっと靴で合図しただけで反応する馬もいる。いつも同じ馬だけに乗れれば、うまくなるのは早いはずだが、馬を選べない以上なかなか上のレベルにいけない。長期にわたって、乗っている人は何となく馬の特徴を覚えて、対応できるようになるといわれたが、初心者は毎回振出しに戻るような感覚しか持てなかった。乗馬は馬の性質と未熟なライダーの駆け引きで成り立っているようなところがあり、そこにインストラクターが馬とライダーにアドバイスの声をかけてバランスを取った指導をする。馬はライダーの合図よりも、インストラクターの声掛けで動いている感がある。

 パラグライダーの単独飛行も乗馬と同じようだと思った。われわれ初心者は風の性質を知らず、どの方向から吹くかも知らない。最初の飛行はまさにおさな子が親に手を引かれて歩ているようなものである。乗馬も落馬すればケガをするからヘルメットとプロテクターは必須であるが、パラグライダーはもっとリスクがある。ここでは最大で300メートルの高さから落下する危険性があるので、レスキューパラシュートを装着しているがコントロールを失った時はどこに着地するかわからないので、まわりに川や湖がなくとも、木々はあるから大きな木に釣り下がる可能性もある。

 三日目の最後に、最初の単独飛行を行った。約300メートルの高台から飛んだわけだが装備の点検から、飛び出しまでインストラクターがお膳立てをしてくれての初飛行だった。風を読むのも、空中に飛び出す前にキャノピーが十分膨らんだのを確かめてから空中に踏み出すタイミングも手取り足取りされた結果であったし、空中に飛び出た後は地上から教官の誘導でカラダを左右に移動すると共にブレークコードを上げ下げしながら5分くらい飛行して着地ポイントの中に着地できた。

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 今回は景色や空中遊泳を楽しむ余裕もなく、トランシーバーからの誘導を頼りに無我夢中で飛行しただけであった。一つ印象に残ったのは、空を飛ぶということは風を切って飛ぶので寒いということがわかったことだ。もちろん季節がよい時期に飛べば、爽やかな風を受けて飛ぶことができて感想が変わったかもしれない。この体験から、鳥たちが空を飛ぶという行為は非常に過酷な行為なのではないかという考えにいたった。もちろん、鳥たちは羽毛を身にまとい、高い体温を保ちながら空を飛ぶとはいえ、墜落しない程度のスピードを維持しながら飛ばなくてはならないということは、人間が地上を歩くよりも、体温が奪われることになる。鳥は翼という筋肉器官を上下に動かすことにより、筋肉内に熱を生み出し、体温の低下を防いでいる思われるが、かなりのエネルギーを消費するのではないだろうか。

 前述した高速フェリーに乗ったとき、船は30ノットくらいの速さで航海していた。時速にすると55キロくらいの速さであるが、その船を追尾する10羽ほどのカモメが甲板で餌をあげている人にちかづいて餌をもらっていた。外気は身を切るほどの寒さで、加えて30ノットの風をもろに受けながらも、カモメは健気にもスナック菓子を挙げられた手からもらっている。このようにエネルギーを消耗しながら、食べられるかどうかわからないスナック菓子を求めて必死に風に逆らって飛んできている様子を見たとき、人間にとってつまらないものに対しても全力で獲得しようする努力は何なんだろうと怪しんだ。

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 大半の人は、カモメのようにつまらないものに全力を懸けないのではないだろうか。いくら空腹だとしても、一個のスナック菓子をもらうために、それ以上のエネルギーを使ったら損だと思わないのか。カモメにとって、1個や2個のスナック菓子をもらっても、腹の足しにはならないのではないか。それなのにチャレンジする意味があるのか。パラグライダーの単独飛行も似たような気がする。金銭的には、無駄遣いを承知で、必死に努力して飛べるように訓練し、飛べても何の利益ももたらさない。

 カモメも達成感という満足を感じたかもしれない。わたしも利益にならないお金を使ったが、日常生活では得られない体験というか、冒険というかを試みることができた。ある意味、命を懸けた達成感は金銭の損得に優るのである。単独飛行で足が地につかず、生身をさらして空中を漂うことにより、野生の鳥たちが目にしている地上の姿を心に刻んだことは、これからの人生に対して「コペルニクス的転回」の観点をもたらすかもしれない。


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