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和菓子No.1どら焼(笹屋伊織)

これまでからずっと、
和菓子が好きでいろんな和菓子を食べてきたけど、
出会った和菓子の記録を残していこうと思ったきっかけは
「笹屋伊織のどら焼」の歴史を知ったことでした。
だから、これを和菓子No.1として、
ここから記録を始めます。


どら焼と言われたら普通、
ドラえもんが好きな、銅鑼の形をしたお菓子を想像すると思います。

でも笹屋伊織さんの「どら焼」はそのどら焼きではありません。 
見た目も味も全く別物です。

まず、竹の皮で包まれています
竹の皮の香りがふわっと漂ってきて、
なんだか”伝統的和菓子”感があります。

竹の皮に包まれたどら焼

竹の皮には抗菌作用があるので、
昔から、食材の保存用に用いられてきました。

食べる時は、竹の皮に包まれた状態のまま
食べやすい大きさに切っていただきます。
和菓子の分類で言うと棹菓子です。
(※竹の皮は食べられません。)

切った断面はこんな感じ。
(もっとキレイに切りたかった、、)

切った断面

小麦粉を使った生地にこし餡が包まれています。
なんだかロールケーキみたい。

熱した鉄板の上に生地を流し、
棒状にしたこし餡を転がすようにして包むことで、
このような円柱型になります。 
この形態の棹菓子は羊羹に次いで古いそうです。

元々このお菓子はお坊さんの副食用だったので
お坊さんに対する配慮も見られます。
仏教の教えで殺生は禁じられていたので
生地に卵は使われていません。
また、竹の皮も一緒に切って食べることで
手で掴んでも汚れず、さっと食べることができ
とても合理的です。


「笹屋伊織のどら焼」がどういうものかざっくり分かったので
早速いただきました。

《食べた感想》
生地は歯ごたえのあるモチモチ食感で甘さは強くありません。
良い意味で想像していたのとは違いました。
一歩間違えると、もさっとした味気のない、
食べにくい生地になってしまうところを
そうならないようにうまく調整されているように感じます。
どう調整されているかは到底想像もつきませんが 笑
中心部のこしあんはあっさりした甘さで、舌触りも良く、
全くくどさがありません。

総じて、素材そのものの良さが活きていて心も体も満たされます。
足し算しない素朴さの中に、
安心感と上品な味わいを感じられるお菓子でした。


なぜこの棹菓子が「どら焼」と名付けられたのか。
銅鑼型のどら焼きがあまりにもメジャーなだけに、
理由がとても気になります。

というわけで、
「笹屋伊織のどら焼」について調べてみました。

《笹屋伊織のどら焼の歴史》
このどら焼は江戸時代末期に笹屋伊織の五代目当主が、
京都の東寺のお坊さんから、副食用のお菓子を作ってほしいと依頼され、
お寺でお菓子を作るにはどうすれば良いか考えた末、
銅鑼を鉄板替わりに使えば良いと思いつき、
お寺の銅鑼のうえで焼いて作ったことから、
「どら焼」と名付けられました。
当初は一般販売せず、
弘法大師ゆかりの東寺にだけ納めていたものでしたが
その美味しさはたちまち町中に広まり、
町の人々もどら焼を食べたいと笹屋伊織さんに頼むようになります。
しかし、作るのに手間がかかるどら焼は大量生産できないので、
弘法大師の月命日に合わせて、毎月21日に限って一般販売を始めたそう。

今では期間を20、21、22日の3日間に延ばして一般販売されていて、
「幻のどら焼」とも言われています。


と、ここで疑問が。
「現在のどら焼き」は
一体いつ誕生したのでしょうか?

調べてみたら、
その原型のお菓子は「助惣焼」という名で
江戸時代初期
から存在していたようです。
しかしこれは、薄く焼いた生地に餡をのせて四角く包んだもので、
どちらかというと、「現在のどら焼き」よりも
「きんつば」に近いお菓子です。
その後明治時代初期丸い形の「どら焼き」
作られるようになったようですが、
これもまだ現在のとは違ったものでした。
現在ような、カステラ生地に餡が挟まった形のどら焼きが誕生したのは
大正時代のようです。

つまり、「笹屋伊織のどら焼」と同じ時代に
「現在のどら焼き」の原型として「助惣焼」は存在していたけど
「どら焼き」として認識されていたのは「笹屋伊織のどら焼」
ということになるのかな?

残念ながら、「助惣焼」がどういった経緯を経て
「現在のどら焼き」になったのかは
はっきりとはわからないようです。

ちなみに、
「現在のどら焼き」が「どら焼き」と呼ばれる理由には様々な説があり、
「銅鑼」に似ているので「銅鑼焼き(どらやき)」と名付けられた
というのが最も有力な説です。
その他、鉄板の代わりに熱した銅鑼で生地を焼いて作ったから
という説もあり、
こちらは「笹屋伊織のどら焼」と同じ理由ですね。

また、主に関西では、
「どらやき」は「三笠山」「三笠」と呼ばれています。
奈良県にある三笠山に形が似ていることが由来とされていますが、
実は「どら焼き」と「三笠山」や「三笠」は
厳密には同一のものではないようです。
「どら焼き」は中の餡が外から見えるように餡を皮で挟むのに対して、
「三笠山」や「三笠」は皮の縁が互いにくっつくように挟むので
中の餡が外からは見えない
ようになっているのだそう。

ちょうど最近「三笠」を食べたので
その時の写真を見て確認してみましょう。

《大和和菓子処 倭の里》さんの「天理みかさ」
断面

横からの写真が無かったので分かりにくいですが、
確かに餡は見えませんね!
断面を見ても、両端はしっかり閉じられています。
これは新発見です!

今まで名前の違いを意識して食べてこなかったので
食べる前に外から餡が見えるか見えないかなんて
観察したこともなかったですが
これからは意識して見ようと思います!

ちょっとしたことでも、新しいことを知ると
またさらに和菓子の楽しみ方が増えますね!

今回は「笹屋伊織のどら焼」から
「笹屋伊織のどら焼」の歴史、
「現在のどら焼き」の起源や名前の由来、
そして「どら焼き」と「三笠山」・「三笠」の違い
について知ることができました。

”一つの和菓子との出会いが、私の知識の幅を広げ、
和菓子の楽しみ方を豊かにしてくれる。”

次の出会いも楽しみです。

(参考)


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