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海外協力隊note

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JICA海外協力隊が執筆した記事を綴るマガジンです。
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#新型コロナウイルス

再派遣されていました

貴州にきて、ざっと二週間が経過しました。 2週間での細かな発見はいろいろとあるけれど、近況を綴ります。 ものの本によると、4月初旬の清明節が終わると、長雨の季節になるようです。(清明節とは、祖先を祭る行事。墓参したり墓掃除をするそう。) ↑こちらは墓に持参する花と飾り物。街のあちこちにみられます。 花には故人を想うメッセージがプリントされたリボンがかけてあることも。 詰め込み教育の学校も休校にするくらいなので、きっと重要な行事なんだと思いました。「この期間に引っ越しをする

みんながそれぞれの手段でケリをつけようとしていた

例えば、肌の色が違う子どもに囲まれ白い歯を輝かせる。目鼻の彫りが深めの赤子を優しく抱き、額に前髪を貼り付けて微笑む。 カレンダー用の写真コンテストを勝ち抜いた素晴らしい協力隊活動の数々。 そんなキラキラの笑顔弾ける……ほうじゃない隊員生活を、勇気を出してブログに綴った(昔の日記の再掲+αだけれど)。 ほとんど編集をいれないただの自省の長文。読んでくださった全然知らない方が、ご自身のブログで「キラキラしている」と書いてくださった。 キラキラは背中についているのかもしれない。後

彼らにとって、私はまだ先生のようで

任地の学生からメール。 「先生、宿題はいつ出しますか?」 というメッセージと宿題の写真。 学校が再開されたそうです。彼らは再開が後回しにされた2年生。 送られてきた写真によると、マスクもありません。机の距離も前と同じ。 彼らにとって、まだ私は先生なんだなとおもいました。 4ヶ月分のフリーズドライが戻った感覚が致します。長い春節休みが終わりました。 2020/05/06より抜き協力隊日記 クリックありがとうございます。 もろもろ返信が遅れていまして、すみませんm(__)

小さな蝶が羽ばたくとか羽ばたかないとか

2020/04/24 1月の武漢閉鎖から数ヶ月。 お世話になった北京の日本語学校の再開が決まりました。学校再開はまだなものの、だんだんと日常がもどっているそうです。 貴州省内の任地では外出していいことになったみたいで、SNS上ではホームパーティーや親戚同士で楽器の練習など、ささやかな幸せを確認するような投稿が散見されます。 私の活動先の学校は、3年生はすでに授業再開、1・2年生は5月1日以降判断となっています。当初、3月上旬から順次全学年授業開始を目指していたのですが、今

全協力隊員に帰国指示が下りまして

帰国して、もうすぐ2ヶ月前になります。 最近は病院へいったり、勉強したりして過ごしています。思ったより体に疲れが溜まっているようで、それが花粉症やら体のいろいろなところに影響を及ぼしているとお医者さんが言っていました。でも元気です。 少し前に、活動中の全協力隊員に帰国指示が下りまして、準備が整った国から帰って来ているようです。 同期隊員からは、 ・水がある ・トイレの電気がつく ・天井がある ・足の裏が黒くならない ・お湯が出る ・ダニの心配をせずに眠りにつける ・蚊帳

2つの居場所の真ん中で

今年はうるう年でした、そして3月。 コロナウイルスの影響で帰国になってから、1ヶ月が経ちました。ひと月も経つと流石に短期滞在気分というわけにもいかず、2つの居場所の真ん中でグラグラしています。 今後の見通しは未だ見えないものの、中国国内はだいぶ落ち着いているようで、任地の人たちから「いつ帰ってくる?」だとか「お互い健康に留意しましょう」だとか連絡が入るようになりました。 赴任先の学校は、クラス毎のグループチャットをつくりいろいろな連絡を流したり、相互に他愛のないやりとりを

隊員、帰国。2週間が過ぎた

つよい制限はかけられていないものの、心情として2週間と言われているウイルスの潜伏期間内は家でおとなしくしていた。 だが、ここへ来て潜伏期間は最長24日という報道が出てきて、私はもう良くわからない。 今日は薬をもらいに婦人科へ。 この地方都市に来て以来、ここ1.2年のかかりつけ医だ。院内はきれいで、診療内容も多岐にわたるため人気がある。 最近の病院は、入り口に湖北省や武漢滞在歴・渡航歴のある人は申告するように張り紙がしてある。でも、それは一定のルールに従って掲示されているも

中国、ある街のコロナ禍

任地の友人が発信していた写真です。 私が見知った街とはかけ離れています。橋の両側は出店などもあり、いつも人がたくさんいるんです。 お正月飾りもそのまま。何も無ければ、1年で最も楽しい時期だったのにね。 街の人が何も心配していなかった頃の写真も載せておきます。市役所の庭のイルミネーションが綺麗でした。この写真を撮った翌日、武漢は封鎖状態になりました。 2020.2.7 より抜き協力隊日記 【一言メモ】 第一報が地方までいきわたるのに、ほんの少しだけタイムラグがあった

ヨルダンから帰国して1年経つが現地では新型コロナ第二波が到来していた

青年海外協力隊としてヨルダンで活動していたが、新型コロナウイルスの感染拡大を受け2020年3月に緊急帰国した。当初は一時帰国という形だったが、結局再赴任は実現せず2020年7月に任期を満了した。 こちらの記事を投稿したのが2020年の3月16日なので、帰国してはや1年経つことになる。私はというとコロナ禍での転職活動の末再び民間企業に就職し、今はヘルスケア領域にどっぷり浸かっている。 ヨルダンの協力隊に限らず、世界各国で活動していた青年海外協力隊が2020年に一時帰国した。

しかしガラス玉が飴玉に変わるわけではない

報道や、世界各地の協力隊員の発信によると、世の中では ・武漢出身者差別 ・中国人差別 ・アジア人差別 そんなものが展開されているようだ。  なんとまあ無意味なウイルス対策でしょう、と思う。差別にウイルスを利用しているという方が正しいかもしれない。 ◇ 他国に派遣された協力隊員によると 街や活動先でしばしば「ニーハオ」と挨拶されるそうだ。 それには2つあり ・ただのあいさつ ・明らかな侮蔑を含んでいる そんな話をよく聞く。 ◇ 任地では、その構図が ・他民族

体温が高いと、どこかへ連れて行かれるようです

色々あるけれど、えいえいおー、と元気を出してやっています。任地ではマスクと消毒ジェルが貴重なものになってきています。とくに消毒用ハンドジェルなどの通販任せの商品は全滅しているように見えます。 【検問で呼び止められ、行先を聞かれ体温を測られます。】 道路や駅など、行く先々で額に体温計をピッと突きつけられながら生活しています。体温が高いと、どこかへ連れて行かれるようです。額に体温計の冷えたプラスチックを感じるたびに、もしもこれが銃だったら怖いなと思います。 粛々と列をなしてそ

そして帰ることになったあの日

【※1年前の出来事です】 下記リンクの通りです。(当記事下部に本文を載せておきます) 赴任地を離れるとき、私を最寄り駅まで運んでくれたのは職場の人ではなく、マスクをつけた善意の一般市民でした。 「北京から帰って来るときは、絶対に連絡してね。ここまで迎えに来るから」 「わかった!」 と答えて、握手して出てきました。 2020/01/28より抜き協力隊日記 【一言メモ】 二転三転するモヤモヤとした数日を過ごしたのち、慌てて荷物をまとめ、不透明ながらひとまず北京まで行った

自分が恥知らずだからといって、他人も恥知らずとは思わぬ事だ

春節は、同僚のご親戚の家で過ごしました。 方言や郷土料理などに触れることが出来ました。 【乾杯!】 そのお家のお爺さんが、こんなことをいいました。 「日本のともだちよ。 わたしたちの国はかつて色々なことがあった。あれは政府がよくなかった。踊らされた。交流はいつの時代も人と人だ。酒を飲みましょう。」 私は、語弊を恐れずに言えば、世の中のお爺さんは文句ばかり言うものと洗脳されていて、そんな自分が恥ずかしくなりました。そして、街やインターネットに溢れる心無い言葉にも恥

農村の春節と感染症と

昨日と今日、同僚のお家にお邪魔して、春節を楽しんでいます。 【春節の準備をする子どもたち。割と何でも糊で接着します】 今日はベンツで同僚のふるさとへ行き、BMWの赤いスポーツカーで帰宅しました。農村でご親戚の集まりに参加させてもらい、ひまわりの種や美味しいご飯をいただき、そして方言の壁の高さを再認識しました。 【ドラマに出てきそうなおうち】 トイレに行こうと思ったら止められました。皆行きたくなさそうにしていました。かえって気になる。 【山の上の公民館で】 地域の婦