【演習】レポート

テキスト:『日本演劇思想史講義』の指定範囲の要約

西堂行人著より

1,八〇年代はスカだったか?

第三期1986年~94年

86年、バブル経済が始まる。土方巽が亡くなる。95年、阪神・淡路大震災。地下鉄サリン事件。大きな節目の時期。この時期を、”迷走期”と名づける。しかし、ハッキリした理由は無い。が、断層的なものはあった。

日本はずっと右肩上がりだったが、オイルショック(73年)で一旦止まる。1948年~73年は政情不安に。その後下降線へ。

雑誌「宝島」より、八〇年代の正体は「無意味な時代だった」と発言した。(=スカ)

その後は、各劇団で代表作が生まれる。そして、後続世代の登場。この時代はバブルの前後で色合いが違う。


2,世界史の動向

バブルがはじまり~94年の間に世界的に多くの出来事があった。

86年チェルノブイリ原発事故。89年ベルリンの壁の崩壊、北京で天安門事件。91年ソヴィエト連邦が崩壊、湾岸戦争。→しかし、日本人の反応は鈍かった。他山の石。


3,日本構内の反応

世界が激動している時、日本国内の問題に耽溺していた。「世界の動向は関係ない、国内でやって行けばいい」と閉じこもった劇が増える。太田省吾は「機嫌のいい芸能がはびこって、芸術は崩壊した」と指摘。88年は芸術のピーク。しかし、方向性を見失う。

その中での動きを三つ。”劇団四季” ”ダムタイプ” ”宮崎章夫ら小劇団外部の人間が、演劇に参入してくる”


4,外部からの刺激

80年代後半~90年代は、海外から最新鋭の劇団やアーティストを招くが可能に。日本の笑いの芝居とは全く異質の舞台を、目の当たりにし衝撃を受けた(カルチャーショック)。

世界トップの3つのカンパニーが来日。日本国内では”勅使河原三郎”が迎え撃ち、日本にも素晴らしいアーティストがいることに気づかされる。


5,日本での新たな問題

国内でも多くの問題が発生。その一つは1992年の、”アジア女性演劇議会”が開かれる。それによって、アジアとの交流が本格化。韓国からは演出家・舞天が招かれた。以後、若い世代を中心に日韓の演劇交流が始まる。現代にも欠かすことのできないファクター(要因)に。

さきほどスカと言ったが、この時期は従来とは違う景色が生まれた。(=エンゲキ)


6,公共劇場の誕生

この時期の注目すべき点は公共劇場の誕生。自分達の好き勝手なやり方ができなくなり、客の要求に応えるようになった。使命感が芽生え、意識が変化。この時代は重要な問題が起こり、エンゲキとして迷走していた。




7月29日、30日公演 太田省吾 原案

タイトル『空気と月と生きもの』


○朗読劇『空気と月と生きもの』を観てどう思いましたか。わからなかったことも含めて 感想と批評を600~800字で自由に書いてください。


冒頭の「突然、家が浮いた」と言う言葉を聞いて、何故そうなった?と思いました。もしかした ら「カールじいさんの空飛ぶ家」のようなものかなと想像しました。「シュッという音」は猫が 机などに飛び乗る時に使うような効果音だったので、動物関係かなと思いました。 妻の方がいきなり、木の板を背負って出てきた時は驚きのあまり数秒フリーズしてしまいました。 その後、夫婦二人の会話をし始めたので、もしかして部屋の仕切りや家の壁を表現しているので はないかと思いました。 夫婦二人の会話は、日常の会話からディープな会話まであって驚きました。この会話の振れ幅と、 夫婦二人の絶妙な間合いを布団で表現しているのではと思いました。その布団を、近づけたり離 したりしているのは、人生の中で色々な出来事があり、その時の心情を表現しているのではない かと思います。 夫婦の会話の中身は昼ドラかなと思うほど、ディープなものが多く聞いていて恥ずかしくなるほど でした。しかし、人それぞれ解釈がある会話でした。自分の中で解釈し想像したものは、煩悩で しかなく自分自身が惨めになりました。劇中の夫婦の会話中に「どうして、どうしてそんな解釈に なるんだ...?」と、自身の解釈を消し去りたいとずっと考えていました。 最後の木の板が倒れた時、ビビりすぎて倒れた瞬間、頭が真っ白になって何が起こったのか理解 できませんでした。その時は、それが偶然なのか演出なのか分かりませんでした。しかし、アフ タートークで、演出のひとつだと言うことが分かり「木の性質上仕方ない、驚かせてしまったか も知れない」という話をされていて納得できたと共に、どうやって木の板を倒したのか気になり ました。

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