見出し画像

カープファンの心性から見た広島市民の愛情表現についての一考察ーつれづれ起承転結(8)

宿題を五日サボった。今夕は久しぶりにMAZDA Zoom Zoomスタジアムに広島カープの応援に行く予定だ。またサボってしまいそうなので、カープについての文章でお茶を濁しておく。

幼少期を過ごした環境が、個人の性格やコミュニケーションの基本パターンの形成に大きく影響するというのは事実だ。それによって全てが決まるわけではないけれど、極めて重要な規定因であるのは確かだ。

僕は福岡県の片田舎の出身だが、18歳の頃に広島に転居し、以来30年間、ここで生活しつづけている。つまり、僕はネイティブの広島市民ではない。

広島という土地に生まれ育った人たちには独特な気質がある。転居した当時から「オレとは違うな」と感じさせる何かがあり、その感覚は今も続いている。長年この地に暮らしていてもその気質が自分に伝染することはない。 30年経ってもまだ余所者感が抜けない。

余所者の視点からネイティブ広島市民の気質を眺めてみたとき、愛情表現の仕方にも独特なパターンがあるように思う。そしてそのパターンは、広島市民にとって唯一無二ともいえる存在、広島東洋カープとの関係性、応援態度によく現れている。

広島カープは、2016年から2018年にかけてリーグ3連覇を果たした。最近は少し調子を落としているものの、期待の若手もたくさんいるし、うまく噛み合えばリーグ優勝だって全然狙える活きのいいチームだ。観客の入りは全国屈指。今の小中学生には「カープ=強い」という刷り込みが今もって効いており、一昔前のような「負けて当然」という意識はない。

「勝って当たり前」という強いカープのイメージは、1950年の球団設立からの長い歴史を振り返ってみれば、異例の事態と言える。

カープと言えば「弱小球団」、その歴史は「負け続け、下位に甘んじながらも、勇気と努力と工夫と、そして何より市民からの厚い支えを後ろ盾に、強豪に一矢報いることに邁進し続けてきた」過程と言える。

そんな不屈の魂が、広島市民のアイデンティティ、心の、生活の支えとなっている。広島市民はカープを心から愛し、結果のいかんを問わず、応援し続けている。

広島市民のカープ愛は尋常ではない。ただ、その愛情表現の仕方は、余所者である僕の目には非常に独特なものと映る。

一言で言うと「ディスるのが基本」なのだ。

あそこが悪い、ここが気に入らない、あれはマグレだ、たまたまだ、また負けた、やっぱり負けた、今日は勝ったが続くはずはない、、、

もちろん、熱狂的に応援してるし、勝ったら思い切り喜ぶし、球場には人が溢れているし、誰にも推しの選手がいる。これまでの戦績や選手やエピソードも驚くほど詳しく記憶している人が多く、訊けば誇らしげに嬉しそうにカープの話をしてくれる。みんなカープが大好きで、誰もカープを見捨てはしない。

ちなみに、弱小時代も含めた昔の話、主力選手やレジェンドに対しては最大級のリスペクトを示す。

なのに、日常的には、オンタイムの流れの中では、ほとんどの人が、選手を、監督を、プレーを、采配を、めったに褒めることはないし期待を口にすることも稀だ。カープ談義の大半は、不満やネガティブな指摘で占められる。古参のファン、熱狂的なファンほど、その傾向は顕著な気がする。

愛してやまない対象をディスり続ける心理とは、これいかに?

家庭でも、職場でも、居酒屋でも、球場でも、終わることないディスりの連鎖。だけどそこにネガティブな空気は微塵もなく、心から楽しそうに対話は続く。

そこには愛しかない。

例えば、アイドルの追っかけの応援態度なんかと比較してみると、その違いは歴然だ。

なぜそんな悪く言うのか?
なぜそんな悲観的なことばかり言うのか?

そのギャップの大きさに、僕は今だに困惑し続けている。

頑張ってるじゃん、良い試合だったじゃん、あのプレー凄かったじゃん、良い選手揃ってるじゃん、疲れもあるさ、そういう時もあるさ、、、

そんな僕のコメントは、「そうだね。でもさ、、、」と、チリほどの引っ掛かりも持ち得ず、ディスりの渦の中に雲散霧消する。

ある友人は、「カープの選手は、可愛いけど幾つになっても頼りないわ甥っ子みたいなもんなんだよ」と言った。だからと言って、それがディスる理由になるというのは分からない。

地元球団を持つ他の地域では、どうなのか?

これまた友人に聞いた話なのだが、巨人ファンは勝てば「いいね」、負ければ「まぁ次は勝つでしょ」みたいなクールな感じ、阪神ファンは褒める時は褒めるし、ディスる時はディスる、その振り幅が大きいらしい。ヤクルトファンは、そもそもファンであることを表明せず、個々に静かに喜んだり悔しがったりすると(最近は強いから、また違うのかもしれない)。土地柄というか、バリエーションがあっておもしろい。

カープに話を戻す。余所者の僕にはなかなか受け止め切れないが、「ディスる」ことが広島カープファンの、そしてもしかすると広島市民の、愛するもの身近な大切な存在への最大級の愛情表現なのかもしれない。

でも、やっぱり個人的にはディスるのがデフォというのはなじめない。

今日は勝ってくれるといいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?