母2 53/100
この週末は、九州の実家に帰っていた。
父が亡くなって三週間が経つ。
母は一見いつも通りだ。穏やかな笑顔で、テキパキと世話を焼いてくれる。
「お疲れさま。お茶淹れるけんね」
「寒かろう?これ着らんね」
「お腹空いたろう?鍋でもしようかね」
「風呂がぬるいかもしれんけんね。お湯足して入らなんよ」
ただ、時折、寂しげな表情でボンヤリしている。
しばらくやりとりするとチグハグさがあちこちに垣間見える。
ごく自然な調子で、一つ何かをすると、一つ何かを忘れる。僕は、母がやり忘れたことを黙って代行する。
ごく自然な調子で、同じ話を同じ順序で語りかけてくる。僕は、初めて聞く時と同じように、その話を聞く。
「お父さん、今日は寒かねー」
居ないはずの父と、当たり前のように会話をしている。あまりに自然で、一瞬、寝室に父が寝ているのではないかと錯覚する。
まぁ、どれもこれもごく当たり前の反応だと思う。
母は、大切なパートナーを失って間もないのだ。慣れない一人暮らしに、静かに少しずつ適応しようとしているのだ。
僕が帰省することを、母は分かりやすく喜んでくれる。
二泊三日の短い帰省だ。一緒に飯を食い、片付けをし、言葉を交わす。母の手の届かない場所のホコリを払い、拭き掃除をする。父の死に伴うさまざまな事務的な手続きを済ませていく。できるだけ仲良く、穏やかに、当たり前に過ごす。
父が亡くなってから、不要なモノを少しずつ処分している。使うことのない食器や花器、着ることない服、読むことのない本、僕らが幼い頃に遊んでいた玩具、などなど。
僕も含めた子どもたちがそれらを分別し、廃棄するための手続きをテキパキと進める様子を、母は黙って眺めている。
僕らはそれらを車に積み込んで処分場に向かう。
大量のモノが運び出されてスッキリした部屋を眺めるとき、母は特に寂しそうな表情になる。
僕らにとってはガラクタでも、母にとっては一つ一つが思い出なのだ。自分の一部であり、父の存在した記憶の一部なのだ。
子どもたちで相談し、これ以上は片付けはしないことを決めた。
母の復調には、もう少し時間がかかるだろう。
頑張れ、母。
また近々帰ります。
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