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オトナの宿題ーつれづれ起承転結(1)

子どもたちが夏休みを迎えた。朝起きて、リビングに向かうも妻と私の二人だけ。子どもたちはゆるりと惰眠を貪っている。うらやましい限りだ。

とは言え、中高生ともなると「毎日○時間お勉強」的なミッションと大量の宿題が課されていたりする。気の向くまま好きなことだけして日々を過ごすというわけにいかないようだ。気の毒に。

とは言え、やるべきことが決められているというのは悪いことではないと思う。ごく一部のエナジー溢れる人たちとは違い、僕ら凡人はto doなしに過ごしていると、ほとんどの時間をやってもやらなくてもどっちでもいいことで埋めてしまいがちだ。それはそれでいいのだけれど、たいていの場合「オレはなにをしていたのだろう...」と、後日遠い目をして歯噛みすることになる。

というわけで、僕は別に夏休みではないのだけれど、子どもらに倣って一つ自分に宿題を課すことにした。本当は誰か出してくれると楽なのだけれど。

今日から30日間、毎日なにかしらの文章をnoteにポストする
2022/7/23開始

いつも「定期的に発信・アウトプットを」と思うのだけれど、気づけば何も書かぬまま時間ばかりが過ぎていく。書き始めてはみるものの、格好つけて何かそれっぽいことをと肩に力が入り、日の目を見ることのない書きかけのゴミばかりが手元に溜まっていく。

書き方については、めちゃくちゃリスペクトしているライターの田中泰延さんの教えに従う。

-つれづれに思うことを、エッセイ的に書きつける

-不特定多数の人の心を震わせ感心させるような「いいこと」を書こうとせず、「自分が読みたいこと」を書く

-文章は、起承転結の型をとる

田中さんによれば、エッセイ(随筆)は以下のように定義される。

事象と心象が交わるところに生まれる文章

「事象」とは日々の生活の中で見聞きしたこと、知ったことである。つまり、自分が触れた世の中のあらゆるモノ、コト、ヒトが事象である。

「心象」とは、それに触れて、心が動き、自分の中に生まれる何かである。記憶に留めおきたい、書き残しておきたいという気持ちにさせる何かである。

そんなエッセイを、肩肘に張らずに、自分のために書いてみることにする。

田中さんの本に引用されていた作家マーク・トウェインの<警告文>がステキだったのでメモしておく。

警告

この物語に主題を見出さんとする者は告訴さるべし。
そこに教訓を見出さんとするものは追放さるべし。
そこに筋書を見出さんとする者は射殺さるべし。
『ハックルベリー・フィンの冒けん』(1885)

柴田元幸さんの翻訳が出てるって、今知った!
買わねば!

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