自己肯定感ーつれづれ起承転結(6)
この二年ちょっとはスクールカウンセラーの仕事をメインにしていて、週四〜五日はどこかの学校にお邪魔している。
生徒たちがお休みに入る七月後半から八月にかけて、先生方は授業から解放される代わりにさまざまな研修を受けることを求められたりする。大変だ。
そこにはスクールカウンセラーが行う研修も含まれており、僕らは先生方向けに研修を準備することになる。
正直いつも、どんな研修をしたらいいのかサッパリ分からない。だから、先生方に尋ねる。
「どんな話が聞きたいですか?」
よく出てくるものの一つがこれだ
生徒たちの"自己肯定感"を高めるためにはどうすればいい?
自己肯定感... 自分を肯定する感覚...
オレはやれる
オレはヤバい
オレには価値がある
オレは自分に満足してる
僕自身、四十数年生きてきてそんな感覚ほぼ持てたことがない。あったとしても瞬間的。知恵熱みたいなものだ。いくらか成長した部分としては「まぁいいか」とアッサリあきらめモードに入れるようになったことくらいだ。
みんな、あるのか?
ここで「自己肯定感が高い」というのは、外からそう見える行動を頻繁にとる、そんな印象を与える、あるいは、質問紙(アンケート)で高いと評価されるような回答をするということを意味する。
代表的な質問紙に「Rosenbergの自尊感情尺度」というものがある。以下のような質問に「あてはまる〜あてはまらない」の五段階とか四段階で回答し、得点化する。
・私はすべての点で自分に満足している
私はときどき,自分がてんでだめだと思う
・私は,自分にはいくつか見どころがあると思っている
・私はたいていの人がやれる程度には物事ができる
・私にはあまり得意に思うところがない
・私は時々たしかに自分が役立たずだと感じる
・私は少なくとも自分が他人と同じレベルに立つだけの価値がある人だと思う
・もう少し自分を尊敬できたらばと思う
・どんなときでも例外なく自分も失敗者だと思いがちだ
・私は自身に対して前向きの態度をとっている
僕らの住んでるこの国は、これらの質問に肯定的に回答できるようなセルフイメージをもてた方が生きやすい場所だろうか?
僕の印象はノーだ。
昔に比べればマシになったのかもしれないけれど、
ルールには(少なくとも表面的には)従って、過度に自己主張せず、反論もせず、自信なさげに、目立たぬように、焦らぬように、時代遅れな雰囲気を醸してる方が安全に、平和に過ごせる気がする。「自分、不器用なんで」と殊勝にふるまってる方がめんどくさくないように思う。
いくらか自信があっても、強い信念があっても、ひっそりと抱えておくくらいがちょうどいい。
「この場所なら、この人らなら、素を出しても大丈夫だ」
そう思えて初めて、人は自分の「秘密」を明かす。そう、この国の大半の人たちにとって自己肯定感とは「秘め事」なのだ。
そんな場所でなければ、その人の自己肯定感あるいは自尊感情が高いかどうかは判別できない。
僕はそう感じている。
そして、子どもらは皆それが分かっている。少なくとも敏感に感じとっている。しかも、昔に比べて最近の子はスマートだし優しいので、対立的な状況はサラッと回避する。自分のことも大事にしてるので(これはむしろ肯定感高いと言えるのでは?)自身の秘め事を雑に扱われるリスクがある場所で、子どもらは「対外的には自己肯定感を低く保つ」という適応行動をとり続ける。
冒頭の話に戻る。学校の先生方からよく出てくる質問「生徒たちの"自己肯定感"を高めるためにはどうすればいい?」にどう答えたらいいのか?
この質問は、以下の二つに分解し、書き換えた方がよいと思う。
1)生徒たちが自己肯定感を表明しやすく(表明した方が得だと)感じてもらえるには、あるいは「自己肯定感の表明」を「適応行動」として機能させるには、どんな環境を整えればいいのか?
2)そうした環境でもなお、自己肯定感が低い生徒たちがいるとすれば、彼らが自分のポジティブな側面に目を向け、活用し、満足感が得られるようにするには、どんな仕組みを整え、どんなコミュニケーションをとればいいのか?
さて、どんな研修を準備しようか。
今のところノープランである。
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