精神のなんとか表紙

精神のなんとか

本作は「精神のなんとか」というタイトルで短編小説などを競作するイベント「精神のなんとか祭り」応募作品です。




1 精神のなんとか

 精神のなんとかとは、なんだろう。

 困ったことに、これが「精神/の/なんとか」である保証はどこにもない。「精神/のなんとか」というおそらくは名詞であろう二語からなるフレーズであるかもしれず、あるいは「精神のなん/と/か」というバディ物のタイトルなのかもしれないのだ(ちょうど「ぐりとぐら」のような感じで)。
 今、なんとなくスラッシュで単語らしきものを区切ってみたが、これが妥当であるという自信はまったくない。高校の現代文の授業で文を文節に区切ってウンヌンカンヌンということをやった記憶はあるのだが、今夜それ以上の記憶を呼び起こすことはできなかった。よってこれらのスラッシュによる区切りは完全に雰囲気によるものであり、今の私の極端な寝不足という非自然的状態を如実に反映して、まったくもって意味を成していないおそれがある。
 そういえば、「ウンヌンカンヌン」とカタカナ表記すると、なんだか東南アジアかアフリカのほうの固有名詞にも見えてくる。おそらくは日本語と発声の体系が異なっているので、中黒を打つと「ウンヌ・ンカン・ヌン」のようになるのかもしれない。

「精神のなんとか」が「精神のなん」と「か」というふたりの人物によるバディ物だった場合、「精神のなん」はおそらく「精神」が苗字で「のなん」が下の名前ということになりそうだが(字面的にもしかしたら「精神のなん」はVtuberかもしれない)、対照的に「か」は、ひらがな一文字というずいぶん雑なネーミングをされているように思えてしまう。それもバディ物のバディの片割れという主要登場人物であるにもかかわらず、である。

「そうは言っても仕方ないじゃないか?」
 ここで口を挟んできたのは、何を隠そう「か」本人だ。
「大体名前になんの意味がある? ある個体を他の個体から区別して識別できればそれで十分なんじゃないか?」
「つまり、名前そのものに意味はないと?」
 そう答えて、やれやれと私は溜息混じりにぼやきたくなった。突然作者が登場人物と対話を始めるなど、これではまるで出来の悪いメタ・フィクションではないか。
「いや、むしろ逆だな。付けられた名前が当初は意味のない文字列だったとしても、名付けられたことによってその文字列にある人物の名前であるという意味が書き加えられるのさ。名付ける行為は、名付ける対象物のメタデータを増やすんじゃなく、付けられた名前の文字列のほうに『この文字列はこの物やら人やらを指し示しますよ』という定義を追加することにほかならない」
 そこで私はあたりを見回して、どこかに「精神のなん」がいないか探した。早速なんのアイデアも計画もプロットもない状態で書き始めた会話パートが苦しくなってきていたし、なによりこれは「精神のなん」と「か」によるバディ物の物語であるはず――という直感が私にはあった。
「ところで君の相棒はどこにいるのかな?」と私は「か」に尋ねる。見渡しても周囲に一人の人影も見つからなかったからだ。それどころか、ここがどこで、周囲に何があり、私と「か」はどれくらい離れているのか、立っているのか、それとも座っているのか、椅子はあるのか、足元はどうなっているのか、皆目見当がつかなかった。もっともこれは、私が描写をするために空間を定義するのが面倒になったからだ。
「相棒って、誰だ?」と、「か」は訊き返す。キョトンとした表情を添えて。かろうじて表情は定義されているが、それ以外の「か」の外見は今のところ定義されていない。
「精神のなん」――私はその名をはっきりと口にする。しかし「か」に思い当たる節はないようだった。どうやら「精神のなん」と「か」はまだ出会ってすらいないらしい。「精神のなん」と「か」の二人によるバディ物、という当初の目論見は崩れ去ってしまった。
 しかし、それは「精神のなん」の不在を意味していると同時に、「精神のなん」と「か」の出会いをもって物語が動き始める余地がまだ残されていることを示唆している。それは私にとって一縷の希望のように思えた。
 私は新たな目論見を「か」に説明する。「精神のなん」という人物は君の相棒になる人物で、「精神のなん」が見つかれば……その……なんというか……全部解決するんだよ、と。
 それに対して「か」は、一応は納得したというような趣旨の返答をしたので、私たちは、現れるべきなのにいまだ現れない「か」の相棒を呼び出すため(そしてこの着地の見えない謎の文章を何とかするため)知恵を絞り始めた。

「読み方が間違っているのかもしれないな」
 不意に「か」が言った。ちなみに「か」はここまでカギかっこで挟まれた表記で統一してきたので、セリフのあとの一文を「か」から始めようとすると非常に読みにくくなってしまうことに、ようやく私は気が付いた。
「精神(せいしん)じゃないかもしれないのか」
 私は同意する。ファイル名が間違っているから正しいファイルが開けないとか、真の名を唱えなければその人物を召喚できないとか、そういうことがここでも起こっているのかもしれない。私はもはや、まともに考える姿勢を放棄している。
「『精神』と書いて『こころ』と読ませる場合もありそうだな」
 そろそろ集中力がきれかかってきた「か」が呟く。厳密には集中力が切れているのは私も同じだったが、私と「か」が別の人物であるとは限らない。むしろ先ほどの「か」の説によれば、複数の名前が一人の人物を指し示すことがあってもよさそうなものだ。
「他にありそうなのは精神と書いてサイコ、あたりか……」
 そう推理した「か」に対して、私はキラキラネームの世界だな、と独り言ちた。

 精神のなんとか、とはなんだろう。




2 物質のあれとか

 
 物質のあれとか、とはなんだろう。
 これがもし「物質のあれ/とか」、つまり「物質のあれ」なる単語と並列助詞の組み合わせだったとしても、「物質のあれ」とは何かという問題が残ってしまう。
 むしろこれが「物質の荒れ」であってくれたなら、まだ理解しやすい。海の荒れとかお肌の荒れとか学校の荒れみたいなもので、きっと物質が「荒れている」状態を指すのだろう。
 
 だから私は思い浮かべる。
 物質を構成する元素が金髪のヤンキーと化し、盗んだバイクで走りだす光景を。荒れた元素たちが徒党を組んで荒れた物質となり、河川敷で隣の学区の荒れた物質と抗争を繰り広げている様を。

 その中に「か」の姿があった。
 彼女は荒れた学級に在籍する一人の女子生徒で、男勝りな性格と言動で周囲の荒れた生徒たちからも一目置かれていた。
 
 そんな彼女が「精神のなん」と出会ったのは、夏の夕暮れの海岸だった。
「か」が荒れた生活を卒業して地元を離れ、東京の無名な私立大学になんとか進学し、それまでとは違った生活を送り始めて一年と少しが経過していた。その夏「か」は手痛い失恋を経験して、無性に海が見たくなり、ひとりで私鉄を乗り継いで小さな海辺の町に降り立った。
 駅を出て、坂道を下る。海沿いを走る車道を渡って砂浜に隣接した駐車場に入ると、そこに夕暮れの海を眺めるひとりの少女がいた。
「か」はそのときの彼女の華奢な後ろ姿を今でもはっきり覚えている。振り向いた表情の儚さを覚えている。色白な肌を。艶やかな黒髪を。澄んだ瞳を。
 こうして「精神のなん」と「か」は出会った。
「あなたも、海は好き?」
 抑揚の欠けた声で「精神のなん」は「か」に訊いた。「か」はとっさにうまく答えられず、あいまいな返事をした。
 日が暮れようとしていた。
 目の前には、ほかに誰もいない砂浜と、無限に続くようにしか見えない太平洋の海があり、それらを背景に一人の少女が立って微笑んでいる。
 背後には海岸沿いの車道があり、駅から歩いてきた坂道があり、駅の向こうにはすぐ山と森がある。
 こうして彼女たちは出会った。夏の夕暮れの光を浴びながら。一定のリズムを保った波の音に包まれながら。




3 肉体のこれとか

 肉体のこれとか、とはなんだろう。

「コレトカ」と書くと、まるで「エウレカ」のような哲学か何かの専門用語に見えてくる。
 肉体のコレトカ――「精神のなん」が口にしたその言葉の意味を「か」が尋ねると、「精神のなん」は、それを説明するのは難しいと前置きしたうえで、
「コレトカ。それは恍惚と興ざめの中間。充足と渇望の中間。つまり肉体のコレトカは、人間の生きる様そのものなんだ」
 自分は長いこと肉体のコレトカを探し集めていると、「精神のなん」は「か」に語った。二人で生活を始めたこぢんまりとしたアパートの一室で。台所に立ちやかんでお湯を沸かしながら。部屋の窓にかかっているカーテンは「精神のなん」が選んだ柄だった。カーペットは「か」が選んだ柄だった。「これも肉体のコレトカだね」インテリアの組み合わせを見た「精神のなん」が何気なく言ったその一言が、「か」と肉体のコレトカの出会いだった。
「私にもできる? その、肉体のコレトカ探し……」
 そう自信なげに尋ねた「か」に、「精神のなん」は沸いたお湯で淹れたばかりのインスタント・コーヒーを差し出しながら、笑顔で答えた。
「じゃあ一緒に明日から探しに行こう」
 季節は秋だった。小さく開けた窓から秋の風が吹き込んできた。

 肉体のコレトカ。
 そのフレーズにヒントがあると考えた私は、〈新たな登場人物〉を呼び出して訊いてみることにした。すると開口一番、
「おい、これはどういうことだ?」
 それが〈新たな登場人物〉から私への文句であることは明白だった。彼または彼女またはその他(作品のジャンルによっては地球人でないかもしれず、生命体であるとも限らない)は、つまり〈新たな登場人物〉は、新たに登場した人物である以上の一切の情報を持っていないのだ。
「まさかこのまま原稿をアップするわけじゃないよな?」
 確かに、書き手によっては構想段階の作品のメモにおいて(主人公)などと仮置きすることもあるだろう。初稿時点で(ここの描写をもっと詳しくする)(ここの会話を自然にする)のような未来の自分に向けた指示が書き込まれていることもあるかもしれない。
 しかし、この新たな登場人物は〈新たな登場人物〉であって、それ以上でもそれ以下でもない。私は慌てて釈明する。
「待ってくれ。君は確かに〈新たな登場人物〉で、それ以外の一切の情報を持っていない。でも今はそれで十分なんだ」
 正直に言えば、今の私にこれ以上の登場人物を設定する余裕がないからだ。
 私は私が何も定義しなかった空間で、何も定義されていない〈新たな登場人物〉に向けて続ける。
「考えようによっては、今後この物語に登場するすべての新たな登場人物はなんだ」
〈新たな登場人物〉は、明らかに納得していない口調で「わかった。納得した」と言った。諦観。これは現実の人間もよくやることだ。
 そこで私は本題を切り出した。
「肉体のコレトカについて知らないか?」
「それは西洋料理の調理法の類か?」
 それはたぶんコンフィのことだ、と私は言いつつ、「鴨のコレトカ」と書くと多少はそれらしく見えるかもしれないと思い、そしてそんなことはないなと思い直す。
「いいか、君はこの後登場するすべての登場人物なんだ。だから――」

 そこで私は〈新たな登場人物〉に託すことを思いついた。

 この物語の幕引きを。




4 追憶のそれとか

 追憶の逸れ(それ)現象――現代宇宙物理学を悩ませる難問。それは素粒子の不可解な振る舞いが重なった結果として、ある意味で過去が書き換わってしまう現象。

 これは、追憶の逸れと「か」の物語。
 追憶の逸れにより、「精神のなん」を失った「か」の物語。

「消えちゃったね」
 厚手のダッフルコートにマフラーを巻いた「精神のなん」が、何も無い足元のアスファルトを見ながら、寂しそうに呟いた。
 傍らに立つ「か」は動きやすいダウンジャケット姿で、彼女も同じように足元を見つめている。彼女の短い髪は赤混じりの茶色に染められていて、荒れた地元時代以来の染髪だったが、とても似合うと「精神のなん」は褒めてくれた。
 ここに――二人が見つめる足元に――特別な肉体のコレトカがあると「精神のなん」が「か」に話したのは、ある冬の朝だった。
 ふたりによる肉体のコレトカ探しは続いていた。ふたりが揃って休みの日には、決まって肉体のコレトカを探しに出かけた。
「精神のなん」が肉体のコレトカだと言って指すものは様々だった。形ある物であることは全体の半分ほどだった。風景、空、自然、街並み、雰囲気、建物、食べ物、飲み物、野生動物、店に並ぶ雑貨……。「精神のなん」が示す肉体のコレトカは様々であり、ふたり揃っての休日のたびに「精神のなん」は「か」をそれらのもとへ案内した。
「か」は大学に通いながら週に何日かカフェでアルバイトをした。「精神のなん」は「か」との共同生活が始まった頃から羊を数えるアルバイトを続けていて、それは少なくとも動物の羊は関係ない仕事だと「か」は聞いていた。ついでにいうと睡眠も関係ない、と。

 特別な肉体のコレトカがあるといって「精神のなん」が「か」を連れてきたのは東京の上野公園の一番目立たない隅で、二人がこの場に到着したとき、足元のアスファルトの一部がほのかに光っていた。白色のか細い発光。慌てて「精神のなん」は駆け出したが、彼女が光のもとへ辿り着いたときにはもう、光は消えてしまっていた。
 なんの変哲もないアスファルトの地面だけが、「精神のなん」の足元には残された。
 すると突然、再びアスファルトの一角が光りだした。今度は光が微かに青色を帯びている。
 地面が光り、消え、再び光りだすという現象の奇妙さに驚きながら「か」が「精神のなん」のほうを見ると、その顔には焦りとも恐怖ともつかない表情が浮かんでいた。
「のなん? どうした?」

 追憶の逸れが始まる――。
 
 気が付くと、「か」は一人ベッドに横たわっていた。追憶の逸れが始まる――最後に「精神のなん」はそう口にした気がする。
 慌てて起き上がる。
 そこは見たこともない白い部屋だった。
 床も、壁も、天井も、ペンキが丁寧に塗られたように白一色。背後の壁に接するように「か」が寝ていたベッドが置かれ、ベッドのフレームもマットレスも白一色だった(枕や毛布の類は無かった)。
 奇妙な部屋だった。学校の体育館のように広くも感じられ、せいぜい八畳間ほどの空間しかないようにも感じられる。部屋には一脚だけパイプ椅子があり、そこにはひとりの男が座っていた。
 どれくらい前から自分はここにいて、気が付くまでにどれほど時間があったのか、「か」は一段と気味が悪くなった。そもそもここはどこで、なぜ自分はここにいて、それから「精神のなん」はどこ……疑問が胸に去来する。
 そして「か」は、自分の足元の床に、黒いインクか何かで手書きされた文字を見つけた。

・追憶の逸れは一種の怪奇現象。過去が書き換えられて人が消える。
・「精神のなん」は何か特別な存在で、彼女一人が犠牲になると全人類は救われる
・クライマックスは「か」が何かのハードルを越えることで「精神のなん」を救い出し、同時に世界を改変して追憶の逸れ現象から全人類を救う。
・設定はどうする?
・ラストシーンはどうしよう?

 箇条書きのような文面を「か」が目で追っていると、パイプ椅子の男は突然無言で立ち上がり、歩み寄りながら部屋を見回しつつ言った。
「作者が空間を設定することを放棄した」
「誰?」
「〈男〉あるいは〈新たな登場人物〉。私は作者からこの物語の幕引きを一任されている」
 男の外見も部屋と同じく奇妙だった。視界に入る度に印象が変わる。中年のようにも青年のようにも見える。長髪のようにも薄毛のようにも見える。レザージャケットとジーンズ姿にも見え、灰色のスーツを着ているようにも見える。
「私の外見には困るだろう? なにせ作者が数パターン考えたところで外見の設定を完全に放棄した。だから禿げ頭の親父と音楽かぶれの青年のイメージがバージョン違いの数だけ重なって……おっとこの話は余計だったな」
 男は「か」の正面に立つと、「か」の目をまっすぐ見据えて続ける。
「本来であれば、クライマックスへの導入としてこのあたりのタイミングで『精神のなん』が『消滅する』という出来事が挿入され、君は悲しみながらも事態の解明と解決に奔走。いくつかのハードルを越えつつ、人格的にも成長を遂げ、ついに「精神のなん」の救出と怪奇現象の解決に成功する――という場面がクライマックスとして描かれそうなんだが、作者はすべてを放棄した」
「のなんはどこ?」
「まあそう焦るな」
 そこで男は小さく咳ばらいをして、
「主人公が何らかのハードルを越える……それが必要なことには変わりない。そしてそのためには何かしらのハードルが要る。同時に謎も解明されれば上出来だが、そちらはこの際断念しよう。なにせ明かされるべき謎についての設定が存在しないからな……。だから私は用意した。ハードルを」
 男が手で指し示す。
 指し示された先には、陸上競技の障害物走で使うハードルが、この白い部屋の中、ぽつんと置いてあった。
「あれを越えてくれ。この物語は二人の出会いを契機として動き出した。だから結末も二人の関係についての何かである必要がある。発端と結末の対応関係というやつだ。だからあれを越えた先には『精神のなん』がいる。そういうハードルを用意した」
 男はそれ以上何も語らなかった。ただ黙って微動だにせず、部屋の片隅を指し示し続けている。
 だから「か」は指示されたとおりにした。その先に「精神のなん」がいると言われて躊躇う理由はなかった。同時にそれが理由だった。置かれたハードルの前まで行って、片足ずつバーを越える。ハードルは特別に低いもので、簡単に越えることができた。
 
 ハードルを越えるとそこは上野公園の隅に戻っていて、そして目の前には「精神のなん」がいた。「か」は「精神のなん」を抱きしめて、彼女への想いを口にした。
 


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