はじめての琉球・沖縄史①
沖縄にヒトがやってきた
沖縄にやってきた人びと 私たち人類(現生人類、ホモ・サピエンス)の直接の祖先は、約20万年前にアフリカ大陸で誕生しました。そして約10万年~6万年前にアフリカ大陸から出て、約4万年~3万5000年前には東アジアにやって来たと考えられています。
山下町第一洞穴遺跡(那覇市)から、約3万6000年前の人骨の化石が見つかりました。またピンザアブ洞穴遺跡(宮古島市)からは約3万年前の人骨も見つかっています。種子島では約3万5000年前の石器が発見されました。このことから約4万年~3万5000年前には琉球列島に人類がやってきて、生活していたと考えられています。
港川フィッシャー遺跡から約2万2000年前の人骨(港川人)が発見されましたが、この人骨は世界的にも珍しい全身がわかるものでした。港川人は、身長が男性155cm、女性144cmと小柄です。同じ時代のほかの地域の人類と比べると、下半身は平均的ですが、上半身は筋肉があまり発達していませんでした。また、あごの筋肉が発達していることや歯がすり減っていることから、堅い食べ物を食べていたようです。
「 港川人」の暮らし 山下町第一洞穴遺跡からは人骨とともにリュキュウジカの骨も見つかりました。また宮古島ではミヤコノロジカの骨が見つかります。3万年前の人びとはシカの狩猟をしていたようです。しかし約3万年前あたりでシカは絶滅しました。それは人類の狩猟によるのか、それとも気候などの自然現象によるものなのかはわかりません。
2万年前の港川人のころになると、遺跡から人骨とともにイノシシの骨が発見されるので、彼らはイノシシのような小型の動物を狩猟していたと考えられます。日本の本州などとは違って、ゾウなど大型の動物がおらず、小さな島で食べ物が限られているためか、港川人の栄養状態はあまり良くなかったようです。 日本の北部や中国東北部では狩猟につかっていたと思われる石器が作られていました。しかし沖縄諸島や宮古・八重山諸島の遺跡からは石器などの道具類がほとんど発見されません。そのため、当時の人びとの暮らしの様子はわからないことが多いのです。
大昔の骨が残る理由 日本本土では、数万年前の大昔の人骨は、ほとんど発見されません。代表的な人骨は約1万7000年前のもので、頭や足の骨の一部でしかありません。しかし、沖縄では港川人をはじめ2万年前の人骨が発見されます。八重山の白保竿根田原遺跡からは、10体以上の人骨が発見されました。
日本は火山灰からなる酸性の土壌が多く、骨が溶けてしまいます。一方、琉球列島はサンゴ礁からできた石灰岩でできています。石灰岩には炭酸カルシウムが多く、洞窟などにある人骨は風化しないで数万年も保存されたのです。
【参考文献】 『沖縄県史 各論編第二巻 考古』 沖縄県教育委員会編(2003年)
『南島考古入門』沖縄考古学会編 ボーダーインク(2018年) 『島に生きた旧石器人』山崎真治著 新泉社(2015年) 『グスク・共同体・村』 安里進著 榕樹書林(1998年) 『琉球列島先史・原史時代における環境と文化の変遷に関する実証的研究: 研究論文集』第1集・第2集 高宮広土・新里貴之著 六一書房(2014年)
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