マサラダ氏が圧倒的な力量を持つボカロPとして今後のボカロ史に歴史を刻むと思う理由

どうも。

僕は最近非常に注目しているボカロPがいます。

それがマサラダさんです。

僕がマサラダさんの曲を聴いた時「才能はここかぁ~!!!」と、とにかく超絶技巧に痺れた側面があって。

音楽の批評に関しては全く自信がありませんが、マサラダ氏の音楽を聴いて良かった点について書いていきたいと思います。

・圧倒的なノリ感の良さ。

マサラダさんの楽曲を語る上で手放せないのが「ノリ感」という概念だと思います。

4ビートの中に産まれるノリ感。カジュアルに言えば「足でリズムを踏みたくなる力」。そのノリ感がマサラダさんの楽曲には溢れていて。

なぜマサラダさんの楽曲にノリ感があるかというと、4ビートのリズムも重要だと思うのだけれど、ベースラインが支えているノリ感も大きいと個人的には感じる。

モーニング娘の曲を貼ったのはノリ感を生み出すビートとベースの質感がつんく編曲イズムに近いと感じたから。

アニメソングやゲーム音楽的なエッセンスの中で「ノリ感」という感覚が損なわれてしまう楽曲も多い中で、マサラダ氏のノリ感の良さはとにかく耳に残る。

・歌詞に嘘が無い

僕はJ-POPの「作文イズム」の歌詞が正直好きではない。

J-POP作文構文とは

・つらいこともあるけど乗り越えていこう
・前を進めばゴールが見えるはずさ
・仲間たちと扉を開けよう

という雰囲気の歌詞の事。

・・・正直ここらへんの歌詞を聴くと「本気じゃねえな」と思う。嘘だな。と。

世の中の厳しさを一度舐めれば、そんな言葉は出ねえだろ。と思ってしまう。

その点マサラダ氏の曲の歌詞には真実味を感じた。

マサラダ氏の曲の歌詞には尾崎豊のような「本気で傷ついた人間の本当の言葉」の魂を感じた。

・自分を確立するマインド


マサラダ氏の歌詞のマインドとは相田みつをの「だもの」である。

相田みつを的な人間という生命を許容するマインドこそがマサラダ氏の歌詞にはあって「嘘でも良い」「臆病でも良い」という「それで良い」というマインド。それこそがマサラダ氏の提唱する歌詞の世界だった。

シンセの高音と高速BPMでありながらベースに支えられ確かにそこにあるノリ感。2010年代以降のボカロ。及びDTMの歴史を総括するようなゲーム音楽やボカロの音楽史の全てを吸収してオリジナルとして叩き出す「エモ」がマサラダ氏の楽曲にはあった。

恐らく、ここからメチャクチャボカロ史的に重要になるという肌感をとにかく感じた。そんなマサラダ氏の楽曲をぜひ聴いて欲しい。

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