ビートマニアの上達論について今一度再考する

ここ数年。ビートマニアの上達論についてずっと考えていた。

「筋肉が必要」というフレーズに惚れ込み、筋トレを初めて発狂皆伝を取り、嘆きの樹などをフルコンしながら、ビートマニアにおける上達論について、鍵盤を叩きながらずっと考え続けていた。

ビートマニアは考えても叩けない。6段の実力の人間が、どれだけ脳内で譜面の構造を理解していても、EROICAの発狂が叩けるワケではない。

となると考えて叩くという行為ではなく、身体動作としての無意識の動きこそが、ビートマニアの真髄であると考える。

それは走るという動作をする時に、足を前に出して次は反対の足を・・・と言わずとも、走れるように。無意識で叩く。それがビートマニアの上達論だと思う。

が、ここで疑問が発生する。

無意識をどうやって育てるか?という点だ。

人間は楽をしたがる生き物だと言われている。

ビートマニアにおいても例外ではなく、人間は譜面を見る時も鍵盤を叩く時も、その動作を繰り返す度に簡略化をするようになる。

それがプラスの方向として作用するのが地力の向上であり、マイナスの作用として癖という概念が存在する。

楽をしようとするから簡略化されて叩ける地力。楽をしようとして指が間違った動きをする癖。この2つは反対の概念のようで全く同じであり、地力を上げながら癖は付けないという事は残念ながら両立はできない。

人間の無意識に楽をさせないためには変化が重要だとされている。

サドプラを変える。判定文字を変える。緑数字を変える。見る譜面の場所を変える。

実は筋トレというのもこの変化という概念の一種なのだ。

ビートマニアをプレイするのにそこまでの筋肉というものは必要ではない。

しかし、筋トレをする事で譜面を叩く時の筋肉の動きには必ず変化がある。

その変化を感じ取り、結果として地力が向上するのである。

状況を変化するのには勇気がいる。

人間は現在進行系の自分のアプローチが完璧な最適解だと思いこんでしまう悪癖がある。

だから、緑数字を変える事も、ノーツを変えることにも、運指を変える事にも勇気がいる。

だが、限界点を突破するためにはとにかく状況を変化させるしか無い

無意識に楽をさせない。無意識にビートマニアをエンジョイさせるためには、環境の変化が必要だ。

後はできると思う事である。

ビートマニアには多くのジンクスがあるが、特に多くのビートマニアプレイヤーが体感している現象がある。

段位認定において皆伝や中伝などを取得できたユーザーが、それまで一切付かなかったクリアランプが一瞬で付いたという報告をいっぱい見てきた。

しかし、段位認定は地力を測定するモノではなく、4曲の中でゲージに耐えられるかどうかという計測装置でしか無く、地力との因果関係は微妙である。クリアランプと段位は必ずしも一致しない。

にもかかわらず、皆伝を取得した瞬間に地力Sにスルスルと、数十回ハード粘着してもハードが付かなかったユーザーが1発でスイスイとクリアランプを更新するのを、僕は何度も目撃してきた。

限界は自分が作るもの。なんていうと、10代の子供に向けた校長先生の演説のような疑わしさを感じるかもしれない。

しかし、この皆伝取得後のクリアランプフィーバー。いわゆる皆伝フィーバー効果は実在する。

できると思うこと。それがビートマニアにおいて、最後に必要な限界突破のエッセンスだと、個人的には結論づける。

限界はある。

僕はKKMにはなれない。MACAODにもなれない。U TAKAにだってなれないだろう。

でも、僕の限界はここじゃない。

ここじゃないなら、まだまだ行けるはずだ。

そう思いながら、僕は今でもビートマニアをやっている。

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