【書評】ライブハウスの襞に分け入るミュージシャンによる人類学:生井達也『ライブハウスの人類学』

 世の中には、毎週のように小規模なライブハウスに足を運び続けるような人たちがいる。それはバンド好きであったり、アイドルオタクであったりするのだが、本書では、ミュージシャンでもある著者が、自身も関わりの深いライブハウスをその考察の対象とし、そこに通い詰める〈常連〉たちによって繰り広げられる様々な実践の中に入りこんでいく。そうして得られた観察をもとに、人類学的な議論が展開される。

 序章では、ライブハウスをめぐる実践についての本書の考察が置かれるコンテクストが示される。新自由主義が浸透していく中で、周縁化され不可視化されてきたライブハウスという場を内側から捉え直す、というのが本書の企図だと言ってよい。そしてそこでの実践は、新自由主義的な価値観を相対化するという意味において、デヴィッド・グレーバーによる「基盤的コミュニズム」やアントニオ・ネグリとマイケル・ハートによる「コモン」といった概念と重なり合うものであることが示唆される。

 ライブハウスの話だと思って読んでみたら、こうした序章の議論に出くわして戸惑う読者もいるかもしれない。また、グレーバーやネグリ&ハートの議論は知っているものの、ライブハウスをめぐる営みをこうした文脈に位置付けることに違和感や警戒感を覚える読者もいるかもしれない。ただ、ここで頁をめくる手を止めるのはあまりおすすめできない。というのも、本書の価値は、こうしたライブハウスの営みの位置づけにかんするこうした結論よりも、そうした結論に至るまでのプロセスにあると考えるからだ。ライブハウスをめぐる営みに著者自身が巻き込まれながら、その襞の一つ一つを解きほぐす過程こそ、本書の読みどころだと評者は思った。

 具体的にいくつか紹介しておきたい。本書最大の特徴は、ライブハウスをめぐる営みを考察するにあたって、ライブハウスに一定期間以上定期的に通い詰めている〈常連〉たちに注目した点にある。〈常連〉たちによって日々織りなされていく実践の詳細については、もちろん実際に本書を手に取っていただくほかない。評者が特に面白く感じたのは、〈常連〉が別の〈常連〉にお酒をおごったり、自身も出演者であることが多い〈常連〉が、別の〈常連〉のライブ後に物販でお金を使ったりするといった、〈常連〉同士のお金のやり取りについての考察だ(第五章)。また、同じバンドのほとんど曲も同じライブが繰り返される中で、パフォーマンスする側だけでなくフロアにいる〈常連〉も関与しながら、いかにしてその都度のライブの良し悪しが生まれてくるのか、という議論も面白かった(第六章)。

 小規模なライブハウスで日常的にライブをしているアイドルのオタクであれば気づかれたであろうが、本書の議論はいわゆる「アイドル現場」における営みを考える際にも役に立つはずだ。ライブハウスの〈常連〉は、同じライブハウスで行われる様々なバンドのライブに定期的に通うのに対し、特定のアイドルの〈常連〉(アイドルオタク的に言えば「おまいつ」)は、様々なライブハウスで行われる同じアイドルのライブに定期的に通うという違いはあるが、似ている部分はいくつもありそうだ。もちろん異なる点もあるが、そうした違いを考えることによって、アイドル現場のさらなる理解につながるだろう。

 こうしたライブハウスの〈常連〉とアイドルオタクの類似を考えたとき、一部のライブハウスは今やアイドルのライブ抜きでは成り立たないという状況を、本書の筆者はどう見ているのかがとても気になった。いずれにせよ、筆者も認めているように、ライブハウスのあり方は一様でなく、それゆえに私たちの眼前には、ライブハウスの人類学の広大なフィールドが広がっていると言えそうだ。(文責:古川)

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