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「取材」の真髄に迫ることができるのか?

476ページにおよぶ一冊、たくさんの学びがあって、きっと取材・執筆・推敲それぞれの章で一回分のnoteを書けるだろう。というか、書けた!!!という投稿です。

ということでですね、各章(正確には章を束ねた大項目)と最後のまとめの4部構成で私も執筆したいと思います。
まずは「取材」から。始まり始まり。

そんな簡単に変われない。

3章分の「取材」の中でたくさんの”なるほど”と出会った。「ライターと聴く自分を分ける」、「踏み込んだ仮説をもつこと」、「つなぎことば」、「自分ごととして理解する」など、たくさんあるが、納得しながら難しさを感じたのが、取材するにあたって、「自分が変わろうという姿勢が重要」ということだった。これがないと単なる知識のインプットで留まり、自分ごととして処理できない。

言葉にまとめてみるとこうだ。

「どんなことに対しても謙虚な姿勢でのぞみ、リスペクトする気持ちを持つ。そして、自分が受け入れてきた常識や価値観をひっくり返す勇気を持つこと。これが良い取材者であることだ。」

この過程を頭では理解できる。でも、すごく難しいなと同時に感じる。そんな瞬間だった。

思い返せば、私は新しいことを聴くと日々のクセとして、自分の中にすでにある何かしらの尺度で測ろうとすることが多い。そうすると結果として自分の常識から抜け出せないと、この部分を読んで思い知らされた。笑

価値観をぶっ壊すのは、そのようなできごとに出会うかどうかだと思っていたが、そうではなく、自分が前のめりになってその道に進もうと思うかどうかなのだ。私はその勇気がない、まだ弱い人間なのだ。というところに着地した。

でも、素直にこの弱さを認め、謙虚になりたいと思った。
将来的には自信を持つことも大事になるだろ。いつまでも自信がない人もどうかと思う。しかしながら、自信を持つことと謙虚になることのバランス、いやきっと、両方を一緒に成立させることができる人って素敵だろうなと思った。そう、これ目標だなとふんわり思ったのが昨日のハイライトである。

今、何年後の目標とするかは皆目検討もつかないが、これだけは決める。これを両立させる人間になることが目標だ。
こうして取材と向き合ってみたら、なぜか自分の道にたどり着いた。おもしろいものだ。

論文ってすごい

さて、ここでひとつ。2年間で学んだことの1つとして参考にしていることを紹介したい。
それが論文である。

何かモノをまとめ上げる行為ともとれる論文の執筆行為。紛いなりにも修士号を取得した自分にとって、修士論文の執筆は経験したことであり、二度とやりたくないことであった。でも、あの経験は仕事に活かせるものだと、今は思う。

丸さんとしたプロジェクトにある機関からの調査委託があった。そのレポートをまとめるときに、いつも丸さんは「これは論文を書くことだ」と言っていた。そこから私はプロジェクトのベースを論文だと思っている。

そして、前取材や後取材のくだりにこのことがあらわれていると感じた。上記のように論文執筆から学べるというスタンスになったからこその発見だろう。後取材で何冊もの本を筆者が読む行為などまさにそうだ。

論文を進んで書きたい人はそうそういないだろう。苦じゃない人はたくさんいるが。

社会スキルとしてこの上ない学びを提供してくれることは間違いない。記事書きだけじゃなく、いろんなところにあらわれると思う。それを伝えたかった。

エモがほしい

自分が取材を通してどう思ったか。これ実は先日の取材の場面で遭遇したことである。編集と一緒に取材にのぞみ、取材後の打合せできかれたのがまさにこれだった。「一番おもしろかったことは?」。この問いに私は答えられなかった。実はそこからこの本を読もうと決心したこともあり、このエピソードは書いておきたかった。

私は正直、つまらない人間だ。そのくせ自分を守ってそこからでてこない。相当めんどくさいと自分でも思っている。ものごとを積み上げていくタイプで、人を笑かすこととかは苦手だったりする。そこにこそ私の記事にエモや読者を突き動かす何かがない原因だと思っている。

何が言いたかったかというと、自分が能動的で取材に臨むことでこのあたりが変わっていくんじゃないかという希望をもったということ。(この話は本を読んで下さい)。そして「自分の言葉で考える、自分ごととして捉える」がすごくしっくりくる。このあたりに糸口を掴みたい。

色々書いたが、取材の項を読んで思うのは、能動であること、そこにつきる。

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