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「ゆとり」世代の一人として思うこと。

年末年始、ステイホームの中で時間がだいぶ取れました。初日の出を観に行かない元旦も10数年ぶり、いつもは親戚や祖父母に新年のご挨拶をしていたので、元旦に一歩も家から出なかったのは、初めてかもしれません。結局暇になり、時間を持て余し、ラグビーやバスケなどのスポーツをみたり、本を読んだり、、よい休日でした!

サッカーの天皇杯はフロンターレが優勝し、さすがだなと思いつつ、憲剛の最高の花道となり、色々とこみあげてくる何かがありました。先月の引退セレモニーが一番泣けたのは事実ですし、そちらも多くの人に見てほしい。たまたまやっていた2019年のラグビーW杯も激アツでした。

スポーツっていつ・何度観ても感動できる不思議なものですね。昨日今日の箱根駅伝も数々のドラマがありましたし。誰かの人生がそこにあるからなんでしょうかね。コロナ禍での開催について、批判もあるようですが(特にバスケ、ウィンターカップは批判されることが多かったですね)、こんなときだからこそスポーツの大事な大会は開催してほしい。今年、オリンピックが開催されることも願っています。

さて、時間があるときに考えることはだいたい1つ、それがこれまでの教育とこれからの教育についてです。特に自分が受けた「ゆとり」についてはよく考えます。そんなときのお供は色々あるんですが、今回は『「ゆとり」批判はどうつくられたのか』と『シン・ニホン』の2冊を読み返しました。

『シン・ニホン』はべつにゆとりについて強く取り上げているわけでもないのですが、教育観がとても刺激されることばかりなので、必読書としてときどき読み返します。これからの教育についてを考えるときに頭の片隅にあるのが、この本です。437ページもあり、少し難しい本ですが、次世代、とくに高校生の間にちゃんと読んでほしいなと思います。安宅さんのTEDを見るという手もあるのですが、できれば活字で自分なりに理解する時間を持ちながら。

『「ゆとり」批判はどうつくられたのか』はタイトルが気になり、買っていました。1995年に生まれた私は小2から週休二日制のゆとり教育を受けたまさにど真ん中の世代でして、この本を手にとったのも「ゆとり」という言葉に敏感だったからだと思っています。

この本はゆとり批判に対する視点から世代を断絶しようとする世代論の是正について問うた本でした。少し前(2013年)に書かれた本ですが、色々数字を引用しながらうまく200ページ以下にまとまった本ではないかなと思います。平成の教育の主役の言葉である、「ゆとり」。これと向き合うきっかけとなる本かもしれませんよ!


1年前にも「ゆとり」について考えて、言葉としてまとめていました。1年前も強気にゆとり教育が間違っていたのではなく、それを実行しきる強さがなかったと書いていました。頭では、ゆとり教育は正しかった、総合の時間のおかげで自分の【今】がある、と今でも思っています。ただ、これらの本を読んで、いざ自分を振り返ってみると、自分に自信がなく、ずっと怖がっているのかもしれないなとも思うようになりました。

自分を正当化しているというか、後ろ指を差される怖さから逃げているというか。

そんな自分を認めることから2021年を始めてみようと思います。自分の未来に希望を持ちつつ、現実を受け入れていく、足元の一歩を大事にしてみたいと思います。

今年の自分なりのキーワードは「認める」「受け入れる」「共存する」にしようと思います。そして、自分でやりきる力「GRIT」。できたこと/できなかったことをしっかりと積上げて、自分を褒めて2021年を終われたら最高です。


まだまだ混乱は続くでしょう。
そのなかで力強く、自分を、そして仲間を信じて突き進む強い力をつけているのは、ゆとりある時間を過ごし、自ら考えることを求められてきた「ゆとり」世代の強みかも知れません。社会をよくしていく上で、他者/ほかの世代と比べることに何も意味はありませんが、1990年代の教育指導要領の改訂による教育の成果は今の20-30代前半が中心世代となる10年後以降に如実に出てくるでしょう。年配の方々にはそんな長い目でみてから批評してほしいと切に願います。

より良い社会を創っていく前では、世代なんてちっぽけなものです。日本が真にダイバーシティを目指すには、そんな世代という枠を気にしないことからはじめてみるという考えは良いのかも知れませんね。

ということで去年は3月に力尽きた週イチ投稿を今年こそ52回続けることを宣言して第一回は終わりにします。

最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございます。

2021.01.03 Kouhei KAIUEA

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