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かつて、資格がほしかった私

20代後半から30年以上やっていた仕事は「鍵盤楽器奏者&指導者」でした。

仕事スタートのころは大手音楽教室の後押しがあったので、「私」が何者であるか?ではなく「楽器店のネームバリュー」で仕事(生徒募集)をしていたといっても過言ではありません。

が、楽器店と並行して、自分の教室をスタートした時に感じたことは

「キャリア(実績)だけではだめ」

という事。

体験レッスンの時、よく聞かれるのは

「先生の経歴を教えてください」

でした。

私は音大卒ではありません。

そういう意味で、経歴はないのです。

評価されるのは、「卒業校名」

キャリアや実績は説得力にはなりませんでした。

尤も、そのころは私自身が30代だったので、生徒のお母さまと同年代、もしくは年下なので、貫禄はなかったという理由もあるかもしれません。

だから、とにかく、資格とか肩書がほしかった。

資格、肩書を取って何が変わったか?

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何も変わりませんでした。

あんなに欲しかった「肩書」だったけど、単なる紙っ切れでしかありませんでした。

某楽器店のプログレードに受かるという事は、音楽性がめちゃくちゃ高くなる・・・と思っていたので、私がほしかったのは肩書だけでなく「自信」「確信」「実力」。

プログレードはなかなか一回で合格できるのもではないらしく、何がいけないのかわからなくなるくらい、試験官の言葉が多岐にわたり落される・・・と言われていました。

それを全部クリアできるのだから、すごい音楽性のある人だけがもらえるものだろう‥‥とあこがれていました。

が実際に認定書を手にしたからと言って、何も変わらなかった。

昨日まで弾けなかった曲が弾けるようになったわけでもなく、誰かの涙を誘うような感動的な演奏ばかりができるようになったわけでもない。

私が肩書を手にした頃は、実績の積み重ねからくる貫禄(体型からくるものかな?)で、私に対して「どちらの学校を出られてますか?」なんて失礼な質問をする人もいなくなっていました。

たかが資格、されど資格

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私は以降、どこかに所属する‥という形での活動はせず、自営としてやってきたので、肩書や、履歴書とは縁のない生活です。

つまり、本当は実力や実績があれば、資格なんていらないのです。

(国家資格がないとつけない職業は別ですが)

今、整体、風水気学の講座をして、終了と同時に、プロとして活動できるプログラムを提供しているけど、そんな自分の経験からあまりディプロマに興味がありません。

勿論生徒さんはディプロマがある事で、かつての私のように「これさえあればプロとして認められる」「自信がつく」と思う気持ちは理解できますが・・・・

プロとしてやっていけるのは、やはり実力、と、こなした数。

されど資格。です。

今はだれでも起業できる時だからこそ、価値あるディプロマは必要です。

私のこれからのテーマは

私が発行するディプロマに、大きな価値をつける事です。


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