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最後に去るものからの手紙

神奈川県にある三崎臨海実験所は、日本最初の臨海実験所として創設されたが、第二次世界大戦中、海軍により接収され、特殊潜航艇の基地となっていた。そのために軍事施設とみなされ、終戦後に米軍に接収されることになる。接収のため米軍将校が実験所に来ると、入り口に張り紙がしてあるのを見つける。

"This is a marine biological station with her history of over sixty years. If you are from the Eastern Coast (of the US), some of you might know Woods Hole or Mt. Desert or Tortugas (Marine Biological Stations). If you are from the West Coast, you may know Pacific Grove or Puget Sound Biological Station. This place is a place like one of these. Take care of this place and protect the possibility for the continuation of our peaceful research. You can destroy the weapons and the war instruments, but save the civil equipments for Japanese students. When you are through with your job here, notify to the University and let us come back to our scientific home."
(Signed) The last one to go.
ここは60年の歴史を持つ海洋生物学の研究所です。もしあなたたちが東海岸から来たのなら、Woods Holeの名を聞いたことがあるかもしれません。 西海岸から来たのなら、Pacific Grove、もしくはPuget Sound 海洋研究所を知っていることでしょう。ここはそういう場所です。ここを手荒に扱わないでください。我々の平和的研究への道を閉ざさないでください。武器や戦争のための設備は壊してかまいません。でも、日本の学生のために実験設備は残しておいてください。あなたたちのここでの仕事が終わったら、大学に連絡をしてください。 我々はこの科学の家に戻って来ます。
 (最後に去るものより)

ただ「The last one to go (最後に立ち去るものより)」とだけ記された張り紙は、将校の心を動かした。その将校の手により、この張り紙はウッズホール海洋生物学研究所に送られる。その手紙にはこんなことが書いてあった。

Gentlemen:
I am enclosing [a poster] which I removed from the doors of the University of Tokyo Oceanographic Institute while units of this command were engaged in demilitarizing numerous midget submarines located in the area. I thought that [the poster] might be of interest to you to realize that your fame had spread even to enemy territory.
我々が特殊潜航艇の非武装化を行っていた東京大学海洋研究所の扉に貼られていた張り紙を同封します。あなた方の名声は、敵国にまで広がっていたようです。

当初、誤って「ウッズホール海洋生物学研究所 (Marine Biological Laboratories, MBL) ではなく、別組織のウッズホール海洋研究所 (WHOI: Woods Hole Oceanographic Institute) に送られてしまったようだが、後にMBLに転送される。書き置きには署名がなかったが、MBLの研究者は内容と筆跡からすぐに團勝磨によるものだとわかった。研究者たちは「Katy(團)とJean(團夫人)は無事だ!」と喜んだらしい。

團勝磨は発生生物学者で、東京帝国大学を卒業後、ペンシルバニア大学に留学し、MBLで研究を行っていた。MBLはクラゲの蛍光タンパク質の発見でノーベル賞を受賞した下村脩が所属していることでも有名である。日本人が海外で呼びやすいようなニックネームを名乗ることはよくあるが、團はMBLでは「Katy」と名乗っていたらしい。團はMBLで多くの研究者と親交を深めるが、後に妻となるジーン・クラークとも知り合う。米国で成果を挙げていた彼はMIT講師の話もあったようだがそれを断って帰国。三崎臨海実験所に勤務する。後に再渡米し、ジーンを日本に連れて帰ることになる。

團が働いていた三崎臨海実験所は、1945年1月に海軍により接収され、特殊潜航艇の基地として使われることになった。團は当時40歳、東大講師として無給で研究しており、武蔵高校の教師として生計を立てていた。同年8月30日、実験所を占領するために米軍将校がやってくる。團は日本海軍が残したハトロン紙に墨で書いた張り紙を残して去る。これが冒頭の「最後に立ち去るものからの手紙」であった。

この張り紙はTimes誌で「Appeal to the Goths」として大きく取り上げられた。「Goths」とはゴート族のことで、以前、西ゴート族がローマを陥落させ、略奪した事件になぞらえたらしい。Times誌の記事はここにある(残念ながら登録しないと読めないようだ)。戦勝国である米国のジャーナリストが、自国を侵略者であるゴート族になぞらえた文章を書いた、というのは興味深い。もしかしたらローマ略奪で同様なエピソードがあったのかもしれない。

この手紙が将校の心を動かしたおかげかはわからないが、三崎臨海実験所は破壊を免れる。米軍の接収解除はその年の大晦日、米軍が撤収したのは翌年3月であり、そこから実験所の復旧を始める。破壊を免れたとはいえ内部はひどい状況であり、後片付けだけで一年近くを要したらしい。しかし、実験所は復活し、現在も東大理学系研究科附属臨海実験所として今に至る。

この書き置きを残した團勝磨は東大から都立大に移り、後に第四代総長となった。ジーンは團との間に5児を設けつつ、御茶ノ水大学で教鞭を取った。娘の團まりなも生物学者となった。「ぞうさん」の作曲で有名な團伊玖磨は團勝磨の甥。

團勝磨が残した書き置きは、今もウッズホール海洋生物学研究所に飾られている。

参考文献:

Wikipediaの團勝磨の記事
Time誌の記事(登録しないと見ることができない) 
ウッズホール研究所の記事(PDF)
東京大学理学系研究科附属臨界実験所の古いページ
大人の科学.netの連載「生命情報科学の源流」第七回 
留学報告「Woods Hole留学記~後半戦」鍋島 寛志

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