2020と言語化
またしばらくサボりましたカイトです。
なんだか言語化について振り返りたい気分。
言語化
ちょうど一年前、なべさん(渡邉晋監督)が退任した頃に言語化について書いた記憶があります。
その時は自分の言葉を持つことについて書きました。
僕はこの一年でどれだけ自分の言葉を手に入れたでしょうか。
去年より言葉を失った気がしています。
表現することの難しさ、そしてコロナ禍によって新たに生じた難しさ。
日々の積み重ねの中で、僕は言葉を使い続けてきました。
毎日誰かに会い、言葉を交わすことが当たり前でした。
しかし、オンライン授業という環境は言葉を交わすことを奪っていきました。
家族以外と何も話さない一日、友人とは思うように話せない環境。
インターネットを利用した通話は、1対1は可能にしますが、それ以上には向きません。
早く会話をまとめることが求められ、無駄な話は省かれていきます。
これは授業でも同じです。
無駄な会話は時に次の会話を生み出します。
人となりを知る話、近状報告、愚痴などなど。それは、その人と仲良くなるために必要なピースでもあります。
瞬間に紡ぎ出される言葉の価値は、考えて紡ぎ出される言葉、いうならばLINEやメールでは代わりを務められるものではありません。
日常で使わない言葉は僕らの中から消えていきます。
そして、メッセージでも伝わるような簡単な言葉に依存します。
そうなると、僕らは相手との間に存在していた共通言語を失ってしまうのではないか。そんなことを考えるようになりました。
共通言語、お互いだけが理解しあっている言葉。いってみればお互いが同じものを連想できるワード。そして、一気に会話の深淵に入り込むワード。そんな共通言語は、日々の会話を通して生み出されるものであると思います。
コロナ禍で共通言語を作ることの難しさ、それを改めて感じました。
ここまでほぼ僕からの愚痴。
ワクチンができて、また面と向かって楽しく会話ができることを祈って。
2020年も師走。
あと二週間やそこらの今年をどうにか生き延びようと思います。
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