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好きにしたらいいのに

11月は撮影と編集、出張で自分の感覚・感性を研ぎ澄ますことに時間を回せず、いざSNSで発信しようと思っても何から始めればわからなくなってしまった。

仕事が多忙で自分の中の感覚や思考が思い通りにならぬまま、これからの仕事・生活のこと、長い時間軸でみて人生で成し遂げたいことを感じ取ろうと思いつついまいちそこにのめり込めていなかったり。

11月の僕はとても混乱していた。

自分の中の思考や感覚を自分の言葉で出してみようと思いリハビリがてらこの文章を書いているのだが、実は昨日日記的に思うことを書き出していたら成し遂げたいことがある程度明確になった。

「数十年単位で記憶にも記録にも残る作品を」
「100人が1回見る映像ではなく、1人が100回見る映像を」
「社会や世界に対する違和感や抵抗を表現したい」

というのが出てきた。

世の中の広告や自分が携わっている映像の一部が
「この企画で使いたいから」
「このサービス用に作って欲しい」
とか、一回性しかないことにとても違和感を感じてしまう。

意味はあるんだろうけど、意義はあるんかなというか。

1回しか使われなかった映像の存在はどうなるんだろうか。なくなってしまうんだろうか。
その1回にしかかけない労力って意味あるんだろうか。

別にその1回きりの映像が悪いものというわけではなく、というか良い悪いじゃないんだけど、少なくとも僕は作りたくない。
労力かけた分お金をもらえれば良いとかそういう問題じゃない。
なんならお金いらないから何回でも見てくれる方がよっぽど嬉しい。
作るんだったら何回でも使って欲しいし、使わなくても何回でも自分で見るとかして欲しい。
要は大切にして欲しいんです。

世の中に映像がありふれすぎているんだ。
またはありふれた映像がありすぎるんだ。

映像は並大抵の想像力を持ち合わせていない人間のために存在しているわけではない。

世の中くだらないことが多すぎるし、くだらないことに囚われている人間が多すぎる。

不安で仕方ないんですとか、どうやって生きたらいいですかとか、これに悩んでるんですとかなぜ人に答えもらえると思うんだろう。

人が悩んでるの見て僕が感じるのは
「好きにしたらいいのに」
ってことだけ。

答えなんか自分の内側にしかないのに。
好きに生きたら人生そうなるのに。
自分の好きにしたらなるようになるし、自分の思い通りになってないのは今あなたが「何もしてないから」でしかない。

自分の人生なんだから

好きにしたらいいのに。

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