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具体美術の主導者 吉原治良の 洗練された美学「円」の作品を高く評価しています

吉原治良(1905-1972)は、大阪市の今の淀屋橋南詰付近の裕福な家に生まれました。
14歳の頃から独学で油絵を描き始め、その後、吉原製油の社長をしながら、抽象画家としても活躍していました。

最初の頃は魚などのモチーフが主であった様ですが、当時親交のあった藤田嗣治から独自性のなさを指摘され、次第に抽象画へ転向していったそうです。

居住していた芦屋市で若い美術家らを集めて画塾などを行っていてその有志を集め、昭和29年に新しい挑戦に切磋琢磨する具体美術協会を設立します。
芦屋の公園での野外展示に続き、東京で大規模な具体展を開催し、アンフォルメルの主導者であったフランスの美術評論家ミシェル・タピエらの注目を集めたといわれています。

昭和37年に自社の蔵を改造し若手作家の育成や海外の作家の作品紹介にも努めました。若手の型破りな手法に触発され、激しいストロークと絵具の物質性を露わにした、アンフォルメル(具象的な形のない)表現を獲得していきました。

「人のまねをするな。今までに無いものをつくれ」というのが吉原の口癖だったともいわれています。


また、自身では「円」をモチーフとした簡潔な抽象画で新境地を開き、
昭和42年に日本国際美術展国内大賞を受賞されました。「具体」を率いるだけでなく、自らもたくさんの作品を手掛け、彼が制作した生涯の作品は1000点にものぼるとも言われています。

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吉原の晩年は特に「円の時代」とも呼ばれていて、その一連のさまざまな「円」を描いた作品で黒と白の対比や赤と黒の対象的な色による造形美の作品は評価が特に高いと言われています。

数々の試みの末に誕生した「円」の作品。そこには、若いときの人物画や抽象画、戦後のアンフォルメル表現にいたるまで、一貫して吉原独特の鋭敏な感性に満ちたヴィジョンが込められています。

「長い間苦労したけれども円ばかり最近描いてる、楽になった」と言い残しています。

私ども絵画骨董買取プロを運営している銀座秋華洞では、現代アートにも力を入れて積極的に買取を行っています。

関西に集結した美術家集団<具体美術協会>のリーダーとして、若手作家を鼓舞し続けた吉原治良(1905-1972)。

アクリル画もデッサンや版画など、吉原治良の作品を丁寧に評価してお答えしています!

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