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霊安室直通エレベーター

 以前勤務していた病院での話。
そこは、都心の大きな公立病院で、10階建てくらいだったと思う。病棟は1階から8階まで。屋上にはヘリポートがある。
地下は、入れるのは2階まで。地下1階は検査室・保管庫・食堂があり、地下2階は職員の更衣室と資料保管庫、霊安室がある。

 三交代制で勤務していた。その夜勤に入る時のことである。
夜勤は0時から8時。いつものようにエレベーターで病棟まで上がっていく時の不思議でちょっと怖かった体験。

更衣室は地下2階であるから、そこからエレベーターに乗る。中央エレベーターホール みたいな名称がついていたような気もする。
それは建物を縦に貫いて、昼夜問わずに上へ下へと動いている。
偉そうに書いたが、寝台用(ベッドが入るサイズ)が三基、一般用が四基ある普通のエレベータ―ホール。

 寝台用のうち、二基が前後両方にドアが付いており、特定の階では後方(エレベーターホールと反対側)が開く。手術室やICUなどである。
そして、さらにそのうちの一基は地下二階で、後方が開くことがある。霊安室である。病棟から霊安室に搬送する際には、その一基が使われる。使用中はロックされ、地下へ直通となるのだ。

 おおかた察しが付くと思うが、この霊安室直通エレベーターは、皆、使いたがらない。当然といえば当然か。
しかし、見えない人であり、感じない人でもある私は、あまり気にしていなかった。
その夜も、一番早く来たエレベーターに乗った。

 同じ時間帯で勤務交代がある割に、他の病棟の職員と一緒になることが少なかったのは、今考えると不思議ではある。

 行先階のボタンを押す。
当時は8階の病棟に勤務していたので、⑧を押した。そこが点灯し、ドアが閉まる。エレベーターの箱は私一人を乗せて、上昇しだした。
落ち着いているといいなぁ などと、これから始まる夜勤に想いを馳せて、ボーっとしていた。

「あれ?」
たぶん声に出ていたと思う。エレベーターが減速したのを感じ、階数を確認しようと表示を見ると、点灯している階がない。
んん?? と考えている間に箱は停止した。
ここは、何階だよ?

 行先の⑧は点灯していたので、8階に到着していないのか?と思ったが、動く気配がないので、とりあえずドアを開けるボタンを押した。反応無し。そして、⑧が消灯した。
まぁ、誤作動とかそんなのかな、と行先の⑧を再度押したが反応はないし、ドアも開かない。
この時、まだ私はのんびりと「反応悪いな」くらいにしか思っていなかった。

 時間的には一分も経っていないと思うが、無音の箱の中にいた。で、いい加減おかしいのでは? と思い始めた頃に、箱が再び上昇し始めた。
だいぶ上昇していた気がする。私の病棟は最上階だが、こんなに上ったっけ? 
なんだか不安になってきたら、箱が停止した。階数表示は点灯していなかったが、行先の⑧が消えていたので、8階に着いたと思った。
今考えると、⑧のボタンを押しても反応がなかったのだから、ずっと消えたままだったことになる。

 ドアが、開かない。
「は?」
のんびりしていては、勤務に遅れる。そんな気持ちもあったし怖くなってきて、【ドア開】のボタンを連打していた。
しかし、開かなかった。
どうすればいいんだーーー! と叫びたくなった頃に、箱が下降する気配を感じた。
ヴゥン…… と小さいモーター音がして、動き始めた。
なんなの?! と、中をキョロキョロ見回していると【B2】の行先ボタンが点灯していた。
しかも、後方ドアの!!!
まって、まって! 私、押してないし!!!

 この時初めて、自分の乗ったエレベーターが例の直通エレベーターであると気が付いた。
慌てて、全部の階のボタンを押した。そして、間もなくエレベーターは停止した。

 チン。という到着を知らせる音と共にドアが開いた。転がるように箱から出て「やばい やばい やばい」的なことを口走っていたと思う。
とりあえず危機は脱したと思い、降りたところを確認すると5階だった。その階の病棟のナースステーションからの視線を感じつつ私は、階段への扉を開けて、8階まで駆け上がった。

 息を切らせてステーションに入ってきたわたしに先輩看護師や同僚が声をかけてくる。
「どうしたの? 階段で来たの?」
エレベーターホールはナースステーションから丸見えの位置にある。それは訪ねてくる人や出ていく人を確認、観察するためでもある。だから、5階で私に集まった視線は当然のことなのである。

ちなみにエレベーターホールを挟んで左右に病棟がある。その両方からもれなく視線を集めたことは言うまでもない。

 だから、エレベーターから降りてこなかった私に、階段できたのか? という質問がくるのだ。息を切らせて、まさか地下から上がってきたのか? 健康のため? 物好きだな…… 彼女たちがそう考えていたかは不明だが、理由は聞きたいだろう。
私だったら、聞きたい。

「実は、あのエレベータに乗ってたら―――」
今しがたあったことをやや興奮気味に語る私を見る顔が、曇っていく。
「そういうこともあるんですね。不思議ですよね~」くらいのつもりだったが、先輩看護師は「笑えないよ」と言った。
その一言で、何故か背筋がゾっとした。その時、怖いという感情が湧いた。

『マジで、夜中にあのエレベーターはやめた方がいい』その言葉に皆か頷いていて、怖かった。それ以上は、聞けなかった。

それからは、例の直通エレベーターは使わないようにした。

 後日、更衣室の風呂の話が出た時にデジャブを感じた。
「けっこう大きくて、気持ちいいですよね~」
って言ったら、先輩の顔が曇った。
「あのお風呂、使ってるの?」と聞かれたので、準夜勤の後によく利用すると答えたら、あの直通エレベーターの時と同じ顔になった。

広いし清潔で快適なのに?
なんなら、湯船で泳げちゃうし。
でも、ほぼ誰かと一緒になることは…… なかったな…
え?
そういうこと?
まぁ、そう言われれば思い当たることがある。と言えば、ある。

それはまた、別の機会に話せたらと思う。

END



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