夜中の見回り
以前勤めていた病院での話しをしたいと思う。
私は現在も看護師をしている。当時は都心の大きな公立病院に勤務していた。
先輩看護師から、いわゆる 霊 がいるとか、見たとか、そういった話はよく聞いていたが、私自身は『みえないひと』であるらしく、そういったモノを見たことはない。
前置きが長くなるが、勤務体制について触れておきたい。
日勤・準夜勤・夜勤の三交代制。私のいた病棟では、準夜勤(16時~0時)は看護師三人。夜勤(0時~8時)は二人体制だった。
その夜勤中の話である。
先輩看護師と二人で勤務。落ち着いた夜でありました。
個室、大部屋含めて50名くらいの患者がいたと記憶している。それぞれ受け持つ部屋が割り振られているが、交代で休憩をとるので、その間は相手の受持ち部屋も見回る。
特別なことがなければ、一時間に一回程度、懐中電灯を持ち、各部屋をまわるのだ。病室と廊下を隔てるドアは基本的には解放されていて、各ベッドのプライベートな空間は、仕切りのカーテンの中だけである。見回り時は、そのプライベート空間も覗く。
言わずもがな、彼らの生死を確認するという目的のためである。
「気持ちよく寝ているのに、安眠妨害だ」
まぁ、それもわかる。
が、呼吸をしているか否かを確認せねばならない。顔面に懐中電灯の光りを浴びせるわけではないから「ご容赦ください……」という気持ちで、暗闇の中、目を凝らし、耳をそばだてていた。
休憩中の出来事は、相手に報告する。当たり前であるが。
ナースコールがあればその内容と対処を。コール以外にも、見聞きしたこと起きた現象など。例えば、トイレに行く姿を見かけたら、それを。なにも起きなければ「何もなかった」と報告する。
その夜の休憩中は何もなかったとお互いが報告した。
そして、朝。
先輩看護師からこう言われた。
「昨日、Aさん(老齢の女性)のトイレ、付き添ってくれたって?ありがとう」
「え?」
私の頭の上には、ハテナ?マークが出ていた。たぶん。
先輩は、決して嫌みな感じで言ったのではない。報告し忘れを咎めるということでもなく、ただお礼という感じだった。
「朝、検温の時にAさんが『夜中にトイレに行こうとして廊下に出たら、看護師さんがいて付き添ってもらった』って言うのよ」
先輩の言葉には「それは私ではないから、あなたよね?」が含まれている。だが、私ではない。その、夜中のトイレに付き添った看護師は、わたしではない。
「えっと、それ、私じゃないと思うんですけど……」
「え?」
私が否定すると、今度は先輩が変な声を出した。
特に何が問題ということではなかったが、気になった。先輩も気になると言った。彼女とは職場以外でも親しくしていたし、見えない者同士でもある。
申し送りが終わり、勤務終了。私たちは、Aさんのところへ赴く。事の詳細を聞きたかった。
「夜中のことなんですけど」と私がたずねるとAさんは、ベッド横に足を下ろして、ゆっくりこちらに顔を向けた。
「Aさん、トイレに一緒に行ったのって、私?」
そうたずねると
「んー、顔は見ていないの。だって、下ばかり見ていたから。でも、そういう白いサンダルで白い靴下履いてたから、看護師さんでしょ?」
と、私たちの足元、いわゆるナースシューズと白いストッキングをさして答えた。
もう少し詳しく聞くと、以下のようなことだった。
めずらしく夜中に尿意を催した。薄暗い中で、壁を這うように廊下へ出たが、足元がおぼつかない。転ばないようにと、足元ばかりが気になった。その時に何かがいるのを感じた。それが寄ってきたのがわかり、顔を上げようとした。そうしたら、白いサンダルが目に入り、看護師だと思い安心した。
会話はしなかったが、トイレに行くと告げるとついてきてくれた。用を足してトイレから出ると誰もいなかったが、暗闇に目が慣れたのか、病室へは不安なく戻ることができた。
つまり、足しか見ていないということらしかった。だが、Aさんによれば「絶対、看護師さんだった」と。
Aさんはお話し好きであるが、つくり話の類はしないし認知症もない。淡々と語る様子から、この夜中のトイレ話もつくり話や寝ぼけていた、夢だったという印象はなかった。
では、何だったのか?
ドラマのシーンのように顔を見合わせた私と先輩。肌が粟立つのを感じた。
更衣室まで二人とも無言だった。
更衣室は、全職員のロッカーと風呂(旅館の大浴場風)がある大きな部屋で、病院の建物の地下二階にある。
その階には資料などの保管庫と霊安室がある。急にそんなことを思い出して
「一緒に帰りましょう」
と、どちらからともなく言って、地下鉄の駅まで一緒に歩いた。
その後、同じような出来事はなかったが、地下二階というシチュエーションで思い出したことがある。エレベーターのよくある話…… かもしれないが。
それはまた、別の機会に話せたらと思う。
END
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