日本の高校を一年で退学したあの日を振り返る

現在、私はオーストラリアのキャンベラという街で大学生をしている。

なぜ高校を退学したときのことを振り返ろうと思ったのかというと、書き残すことで、どこかの誰かの役に立てるかもしれないと思ったからだ。

今は21歳になり、高校一年生のときのことはあまり覚えていない部分も多いが、ここに書き残したいと思う。

高校進学を考えていた自分を思い出してみると、正直、高校の選び方がわからなかった。自分が将来何をしたいのかもわからず、特別頭が良かったわけでもない。偏差値は50くらいで、学校の成績はオール3、英語が4、美術が2の中学三年間だった。

なぜかはわからないが、周りの友達はみんな頭が良く、彼らが目指していた高校は県内のトップ校ばかりだったので、自分も偏差値65以上のところに行けたらな、ぐらいに考えていた。

そんなある日、高校説明会に行った母が「国際バカロレア」という制度を教えてくれた。ある一定のスコアを取れば、海外の大学にスコアを提示するだけで合格できるらしい。しかも早稲田や慶應、上智大学にも進学できることがあるらしく、そんな制度があるなら行くしかないと直感的に感じた。

必要だった英検二級と模試の成績を提示し、晴れて某都内の私立高校に入学した。国際バカロレアの新設校で、高校二年生から始まるらしいが、高校一年生は他のコースの生徒も混じってみんなで基礎学習をする感じだった。

友達もたくさんできて、順風満帆な日々を送っていた。この高校での友人や出来事については、他の記事で紹介したいと思う。

そんなある日、「スター・ウォーズ」の素晴らしさに感動し、浅はかにも映画監督になりたいと考えるようになった。そして、ジョージ・ルーカスの卒業した南カリフォルニア大学の映画学科に進学したいとも考えた。

親に相談すると、夏休みにイギリスで "Film Making" のサマープログラムに行ってみたらどうかと勧められた。(これが全ての始まりだったと今では感じる。)

英語には自信があった。なんせ小学校一年生から近所の英会話に通っていたし、学校で習う英語には退屈していたからだ。しかし、イギリスに行ってみると状況は全く違った。最初のウェルカムディナーで周りの参加者が何を言っているのか、一つもわからなかったのだ。

授業も Film Making についてのため、自分の考えるシナリオやストーリーについてのディスカッションやプレゼンテーションばかりだった。今でも覚えているが、自分がみんなの前でしたプレゼンは紙を丸読みするだけで、Google翻訳で書いた文章を読んでいるだけだった。周りの人がペラペラと言いたいことを喋っている中で、自分が本当に惨めに感じ、悔しかった。3週間のコースだったが、結構引きこもりがちだったと思う。周りは大学生ばかりで自分は15歳、最年少だったことと英語があまりできなかったことで、逆に周りの人には可愛がってもらえた気はするが、かなり辛かったのを覚えている。相手が言っていることはわからないし、自分が言いたいことも分かってもらえなかったからだ。

授業の終わるたびに先生の元へ行き、授業内容に関してのノートを見せてもらい、写真を撮って後から Google 翻訳で内容を理解していた。

サマーコースの時の唯一残ってた写真

なんやかんやで帰国すると、日本の高校の授業が本当に自分が受けるべきものなのかと感じるようになった。南カリフォルニア大学に行くにしても、今後海外を舞台に自分が活躍するには、夏にイギリスであった学生たちと切磋琢磨しないといけない。英語力だけでなく、プレゼンやディスカッション力をもっと伸ばすためには、できるだけ早くから海外に行くべきではないかと考えるようになった。

同時に頼りにしていた国際バカロレアという制度にも、日本語と英語の両方にカリキュラムがあるらしく、自分の高校は日本語カリキュラムのため、海外大学に行くにしても IELTS や TOEFL なども受けないといけない。

親の勧めもあり、思い切って高校一年生で日本の高校を退学し、イギリスの高校に転校することにした。

この高校まで辞めるとはこの時は思っていなかった。次に続く。

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